待ちわびて準備

終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい 多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから み言葉はエルサレムから出る。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。
イザヤ書2章2−5

夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。
ローマの信徒への手紙13章12−13a

人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。
マタイによる福音書24章37−44

我々が何かを待っているということは、
つまり、我々はその何かをすでに持っているということなのだ。
待つことは、まだ現実となっていない何かを先取りすること。
もしも我々が、希望のうちに、忍耐しながら、待つならば、
我々が待っているその何かの力が、我々にはたらいてくれる。
もっとも研ぎ澄まされた感覚のなかで待ち望んでいる者は、
彼が待っているものからそれほど遠くない。
まったき誠実さのなかで待ち望んでいる者は、
彼が待っているものにすでに擁(いだ)かれている。
忍耐のなかで待ち望んでいる者は、
彼が待っているものの力をすでに受け取っている。
我々は、持っているときよりも、待っているときのほうが、より強い。
ポール・ティリッヒ

一年のうちでもっとも暗い季節が来た。冬至まで四週間。
夜が長い。闇が深い。今日は一本、ろうそくの光をともす。四つのろうそくの光を、一本一本ともして、真っ暗な季節で待つ、アドベント
まことの光、まことの希望を待つんだよ。
しかし不思議だな。持っているときよりも、待っているときのほうが強いだなんて。テヘンとギョウニンベンの違い、「モ」と「マ」の違いだけなのに、こんなに響きがちがうんだよ。
神を待つ、ということ。それはすでに神に抱かれているということ。