Ap14,1-3,4b-5;Lc21,1-4

わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。
ヨハネの黙示録14章2−3

エスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、言われた。
「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」
ルカによる福音書21章1−4


ウクライナの一人の女、投票に行く。
http://fr.news.yahoo.com/041121/85/45fr4.html
国民一人ひとりに託された一票は、一人ひとり同じ重みを持つ。誰か金持ちは二票で、誰か貧乏人は一票というわけじゃない。一人ひとり、皆、一票。
わたしと、わたしの国との関係は、この一票でつながっている。わたしは、わたしの国にコレを望んでいるという思いを、この一票に託すのだ。わたしは、わたしが信じる神の国にも同じくこの思いをこめる。
レプトン銅貨は、1デナリオンの128分の1の価値。1デナリオンは一日の労働分の金額に相当する。もし一日8000円儲けたら、1レプトン銅貨は約60円。二枚だから120円。
120円入れた者と、1200円入れた者と、12000円入れた者と、何が違うか、金額が違う。しかし神の前で、果たしてこの金額の差が人間の重みと引き換えに考慮されるのだろうか。それどころじゃない、無いものからさらに引き出していこうという思いをこそ、「だれよりもたくさん入れた」とほまれを受けるのだ。貧しいやもめは8000円なんて儲けられない。120円、必死な思いで入れた。願いをこめて、思いを決めて。