Ap3,1-6,14-22;Lc19,1-10

あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
ヨハネの黙示録3章15b−17、20(新共同訳)

エスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。
エスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
ルカによる福音書19章1−10(新共同訳)

さあさあ、降りていらっしゃいよ、そんな高いところにいないで。
「走って先回りして、いちじく桑の木に登る」なんて、なんだか考えさせられる。
しかもちょっと笑える。
がんばって、えらそぶって、しゃちほこばって、見栄はってみる人生。まぁ、でも、これはこれで一生懸命なんです。ザアカイはザアカイなりに、背伸びしてでも「彼」のことが見たかったわけです。
しかしどうですか。下から呼ばれてしまうのですよ。「降りていらっしゃい」と。
わたしが「主」と仰ぐ彼は、まったき「低み」から、わたしを招く。
ザアカイは急いで木から降りて、喜んで彼を迎える。降りていくことがこの上なく喜ばしきこととして、まるで天の国へと降り昇っていくかのごとく、低みへとくだる・・・。たぶん、憐れみが自分自身のうちからにじみ出てくるのを見て、歓喜の叫びを抑えられなかったにちがいない。高いところから降りてみるって悪くないよ。
「失われたもの」だから「捜される」。「渇いている」から「満たされる」ように。