Ph3,17-4,1;Lc16,1-8

キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、
わたしたちのいやしい体を、ご自分の栄光ある体と同じかたちに
変えてくださるのです。
フィリピの信徒への手紙3章21

エスは、弟子たちにも次のように言われた。
「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ、こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分の家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油100バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰をかけて、50バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦100コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。80コロスと書き直しなさい。』
主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」。
ルカによる福音16章1−8

ここに登場する「主人」が、もしも「ケチケチ」だったりしたら、こんなふうに管理人の男が勝手に証文を書き換えさせているのを見つけて、余裕たっぷりに、「おー、なかなか抜け目のないやつ、よくやったなぁ」とは言わないだろう。そうなると、この物語には、このオチはつかない。それでなくても、いい加減な管理をしていることに腹を立てているのだから、さらにカンカンに怒るだろう。

ある金持ちに一人の管理人がいた。
金持ちの主人は管理人に忠実さを求めた。

管理人は「どうしようか」と考えた。そして仲間集めをすることにした。仲間がボクを助けてくれる。一人ひとりと、ちゃんと関係づくりだ。丁寧に丁寧に、相手を座らせ、やさしく語りかけながら、借りを減らし、良かったねと微笑みあおう。とりあえず安堵。

主人はそれをとがめはしない。
‐つづく‐