Ph2,12-18;Lc14,25-33

だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、み心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。
何事にも、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。
フィリピの信徒への手紙2章12−16

自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者があるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。
・・・
だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。
ルカによる福音14章27−33

赤組ガンバレ、青組ガンバレ。
海のむこうの新天地では、みんなみんな何年かに一度の王さま選びに夢中。わたしたちの王様はわたしたちが決めるのだ。なぜなら、ここは、自由の王国だから。赤組の王さまは頭は弱いが人気者。青組の王さまはインテリだけどちょいと弱腰。自由の王国では、ひとりひとり自由に考えて、自由に投票してよろしい。だから、お父さんは赤組、お母さんは青組、御姉さんは青で、その旦那さんは赤で、妹は赤で、一番下の弟は青で・・・ボクは黄色!でもよろしい。
さてとプロジェクトがはじまる。世界でいちばんステキな王国を造り上げるのだ。誰もが憧れるような自由の王国。ちゃんと石油を確保しておくんだぞ。何億年かけて育まれた生の大自然を背景に、ロールスロイスをびゅんびゅん飛ばしてキミに会いにゆくために。水も大事だよ。飲み水だけじゃなくて、黄金に輝く秋の大収穫祭に間に合うように畑に水をまかなきゃ。自由の王国がほんとのほんとにステキなら、きっとみんな石油も水もあげるよって言ってくれるはず。一生懸命がんばって、ステキな王国を建てよう。がんばればなんとかなるさ・・・。
だから、同じように、とは驚くべき間(ま)。
これほどの夢と希望をもって、わたしがほんとにするべきことは、十字架を背負ってついてゆくこと、ということになる。自由の王国づくりに奔走する人のように、わたしはあなたの弟子として奔走する。これも欲望の転轍なのか。

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