そのまま


デザイン、ころころ変えています
=秋から冬への変化に心身ともについていけてない!
でも、この「袋」デザインで落ち着きそう。
寒いからなんか袋に包まっていたい・・・みたいな。
◆◆
ところで、先日、のほほんNちゃんとも話してたんだけど、
ETV特集「東京・山谷・最期を生きる〜あるホスピスケアの試み〜」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
良かったね。

東京・台東区の山谷地区。ドヤ=簡易宿泊所が軒を連ねるこの街に、「きぼうのいえ」という名のホスピスケア施設がある。鉄筋4階建、全21室。ガンや重篤な病を抱えながら、財産もなく身寄りもない、つまりどこにも行き場がない人たちの最期の場所として2002年に開設された。以来80人近い人々がここで看取られてきた。

「きぼうのいえ」の入居者のほとんどは、人生のあらゆる辛苦を山谷でなめてきた人々。一方で労働者として高度成長を下支えしてきたという誇りもある。たくましさやしたたかさ、屈折した面を併せ持つ、一筋縄ではいかない面々だ。
そんな彼らが病を抱え、施設に次々と運ばれてくる。迎えるのは、専属のスタッフやボランティア、そして外部の介護・医療パワー。「人生を生き直す場所」というモットーの下、献身的なケアを行っていく。最期の時に向けて築かれる両者の関係。拒絶、同情、死への恐怖、安らぎ…。施設では、きれい事ではすまされない現実が日々繰り返される。

同時に「きぼうのいえ」の取り組みは、最底辺の人々を支えるセーフティ・ネットとして注目されている。従来にはない発想で、あらゆる社会資源を駆使しながら在宅型ホスピスケアを行っているのだ。

日本の縮図とも言える山谷とそこで最期を迎える人々。
番組では福祉、医療、格差、個人の遍歴…、社会や人生のさまざまな糸が交錯する「きぼうのいえ」の日々を見つめていく。

何がよかったって「そのまま」だったこと・・・
実はさっき「風のガーデン」を見てて、おじいちゃんが家族に看取られながら逝くシーンでもちろん私たちは「演技」を見たわけなんだけど、このETV特集では、上の写真にもある「きぼうのいえ」のみんなに看取られながらある男性が今まさに亡くなられた・・・という「そのまま」がそのまま映像となってテレビに現れていたのを私たちは見なければならなかった。
あまりにもその場面が「そのまま」すぎて、テレビを見ていたときには「きぼうのいえ」の「日常」を「そのまま」見ていた気がした。
ぜんぜん重くなかった。
ふつうの日常。
さっきの演技を見てる方がずっと泣きそうだった。
で、ETVの方はテレビを見た後、ずいぶん時間が経って、だんだんと、そういえば、「あの人」は「あの日」にほんとうに「きぼうのいえ」で逝ってしまったんだよなぁ・・・と、心深く、思い出すようになってきた。
あったかい気持ちで。
「その方」が「きぼうのいえ」に入った日のこととか、七夕の日にたんざくにこう書いてくれって頼んだなとか、短い、ほんのたったの2、3ヶ月だったかと思うんだけど、その月日を、一緒に過ごしてしまったような、そういう味わいが残る。
あと、上の引用のもう一つの写真。若い女性とおばあちゃんが桜の花見に行って、歌ってる。
どこにでもあるような、孫とおばあちゃんの風景。
これもまさしく「そのまま」だ。
思わず、こういうことしたいなぁ〜って思えてくる。
そういえば、花見に行ってカラオケなんて最近してないな・・・
してみるかって気持ちになる。
・・・というか、この人たちの花見に参加すればいいんだよねって。
なんだろ、たぶん、長年生きてきた人生の重みってものは誰にでもあると思うんだけど、「きぼうのいえ」ではその重みが軽みになってる。楽になって、軽くなって、気持ちも踊るようになって、みんなに感謝して、ありがとう〜って言えて、喜んで、嬉しくなって、天に往く。
最底辺の人びとを支えるセーフティ・ネットか・・・
三塁をまわってホーム・ベースにすべりこむとき、「セ〜フ〜」って感じで主審が両手を横に開いてるって感じだね。