パン切れ


裏切られる場面でさえ、
食事の席だった。
彼はいつも誰かと一緒に食事をしていたから、
食事の席というところは、
言ってみれば彼のすべてだったのかも。
いよいよ、終わりが近づいた時も、
そこにはパンがあった。
皆で一緒にパンを分かち、食べていたんだ。
パン切れが手から手へと渡されていって始まってしまう。
まわりの人たちには何も、わからなかった。
たぶん、イスカリオテのシモンの子ユダでさえ、あまりわからなかったのではないか。
人間たちにはけっして踏み込むことの出来ないことがそこに始まってしまって、
後悔するなんてことだって考える余地のない、ぎりぎりの、世界が、
あのパン切れと一緒に始まってしまう。