祈りと生活


しばらくネットから離れたのち、関西にもどって、家にこもって、
ホームページを作成しておりました。
所属する修道会のホームページ担当ということで、
長らく準備をしていたのだけど(=時は過ぎて)
やっと・・・4月開設という運びに辿りつきそうです。
検索すればもうそろそろ出てくるかも。
まだ、タイトル入れてないので出ないかも。
◆◆
そんな合間に久しぶりの再会。
Sちゃん、6年ぶり。
この間、彼女は10代から20代へと移行されてたんだな。
成長というのは素晴らしい。
10代から20代へ移行というのはやはり、
まさに、成長!と言う感じがします。
もう30代から40代へ移行と言ってももうこれは「成長」とは言いがたい、
まぁ、日本語の妙味、でしょうか。
しかし、これが50代から60代へ移行と言っても、その時にも、
ぜひとも「成長」と言いたい「人間の奥義」に日々感動したいもの。
そんなSちゃんとゆっくりお話しさせていただいて、
修道生活は立派な生活、とかじゃなくて、
洗礼を受けたキリスト者の生活の一形態であり、
とくに、その意味をラディカルに探求しようとしている集団、みたいな話しになり、
そこから修道生活と信徒の祈りのグループについて語り合うことになった。
彼女はある祈りの会に参加しもう数年なんだけど、
「何がちがうんだろ」
という質問にいろいろ考えてこたえを探してくれた。
話しててとっても有意義でとっても勉強になった。
その彼女が今朝、メールで、さらに考えたことを補充してくれた。

修道生活と信心会の違いについて少し考えました。
前者は祈りの中に生活があり、後者は
生活の中に祈りがあるという違いがあるのではないでしょうか。

それを図にするとこうなるかなと思って描いてみた。

うむ、大胆な仮説ではないですか(Sちゃん、笑)。
二人で話しててこんな「円」が生まれてきたなんてすてきだなって思ったヨ。
とっても考えさせられてる。