抽象

Claude MONET
Nymphéas 1916-1919 N°INV5164
いよいよ抽象化を試みるわけなんだけど、肉眼で見たものと別の世界に描き置かれたものというのは「違って」当然だよね。違っていい、きれい。
違わなきゃおかしい。
だいたい「在った・世界」と「在る・世界」という、どうしようもない時間的なずれがあって、人ってその間を常に生きなきゃなんないものなんだから。
「在った」から「在る」に移行する、それがどのような量・価値・評価であろうとも、「創造」であるには変わりなし。そうなんだよ創造なのだよ。モネの創造は、彼自身を「現・身体的に」自分を投げ出している世界を創造することにあったのだな。見ている対象は実に「抽象化」することで充分なのだ。「具現化」する必要なし。だって、対象と自分の「関係性」こそが「この・世界」なのであって、この世界こそが「祝福」されるにふさわしいのだから。
そんなわけで、この世界が祝福されているということを身に沁みる。
何のために享受した信なのかを意識すること。
それが他者を意識したものであるようにねがう。自分を通して行われる「何かしら」が大きく祝福されたものであるという喜びの知らせを受けて、受けたからには全うしたいと望む小さな人間の意志をも踏襲して、ねがう。
もうあとひとふんばり(・・・で終りたい)。