連れてこられた女

3月25日福音ヨハネ8章「姦通の現場を捕らえられた女」は
わたしにとってかなり思いいれのある聖書箇所。
どれほどこの箇所を読んだか
どれほどこの箇所を祈ったか
誰にもそういう特別な聖書箇所ってあるだろうけど、
わたしにとってはこことヨハネ4章サマリアの女は特別。
名もない女が登場する。
それだけでもう、ドキドキする。
ま、どうしようもない女だってところも共感する。
こんなこと書ける福音記者ってほんとすごいなって思う。
これは男が書いたのか、女が書いたのか
ま、そういうこともどうだっていいんだけど、気になる。
今回はじめてこの箇所で下の解説を書かせていただいたので記念にここに載せておく。
実はうれしかったから。
たまたまだけど順番がこういうふうにあたると、
なんか宝くじにあたったみたいな。
さて、
日曜日に神父さんの説教をうかがいながら、
なるほど男性が話すとこういうことになっちゃうんだと、
心臓の奥のほうでウグウグと動くものがあって、
それが何だとはうまく言えないのだけれど、
「彼女が・・・」「彼女は・・・」と、
女のこと呼ぶことになにかしらのものを味わった。
たぶん、
わたしが書いた宗教/力/男性性という部分にも違和感を味わった人もいるだろうな。
そういう深層にイエスのまなざしは届くんだと思う。
さて、
交差点/都市/十字架

行き来する自動車のスピードが突き刺さるようなこの都市にて、
まっすぐ立つことができますように。