耐え忍ぶ

わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、
キリストと共に生きるようになる。


それほどまでに全力投球してるんだね、ってMAが言った。
あまりにも私が、死、死って言ってるから。
書くことと死ぬことがどうしてそんなにつながっているのか不思議だけど、
この三ヶ月、ほとんど毎日、自分が死ぬ日のことを考えていた。
そういう状態で、机上に集中してたと思う。
だからといって何が言えたか、それについてはまったく自信がない。
驚くほど小さなことで、今までわからなかったことが、
私にとっては最大な発見なわけだけど、
それはもしかしたら、
他の人にはすでにわかってたことかもしれないのだ。
それでもいい。
だったらなおいい。
それにしても、
死について考えている時は、すでにそこに超越してる。
そこに侵入してると言ってもいいかもしれない。
考えるとはおそろしく超越な次元を包含してる。
考えるという経験。
あのときMAも一緒に死んだと思う。
私がブツブツ言ってたとき。
あともう一つ、
今日わかったことは、
死のことを考えてるのは私ひとりじゃないってこと。
死をにらみつつ戦っている少年がいる。
全力投球して生きてる人がいるってことを知った。
見えないいのちの根がこの世界にはりめぐらされてるなら、
そういう次元で絶対につながってるにちがいない。
いのちの木になって、
大きく息をする。