Tamié


アルベールヴィルから車で20分。
アルプス山脈の懐にある、観想修道会L'Abbaye Tamié。
聖週間、とっぷりと沈んできた。

ここの名前は聞いていたし、前からこのCDで親しんでた。日本のM師が典礼関係であちこちまわられ、ここも訪れて、いちばん感動しておられたし、とにかくいつかおじゃますることになるんだろうなと思っていたけど、ほんと、なんというか、うまくことばにならないけど嬉しかった。


http://www.abeillemusique.com/produit.php?cle=10604
20世紀作曲家の作った交唱で詩編がいっぱい入ってる素晴らしいCD。

観想修道会の生活は一見すると穏やかなように見えるけれど、実際、朝4時から祈りがはじまり夜8時の終わりの祈りまで、一日にミサ+7回の共同の祈り(詩編唱和)(10時間は祈ってる計算)があって、その合間に、さまざまな活動があるので、相当、身体的にも強くないとつとまらないよねぇと思った次第。
5日滞在のうち、二日間だけ全部出たけど、とにかく夜の祈りが終わったら寝ないと起きられないだろうなとかいろいろ考えて、その合間合間にPC仕事してたわけだから、けっこう私ふらふらしてた・・・

いやはやしかし、聖土曜日。
エスは捨てられ死んだ、墓に葬られた、こんなひどい姿で、
それは恵みと歌う、
神は生きてる、神は死なない、神は、死に対してこういうふうに打ち勝った、
って歌うんですね。
だから、死は死じゃないし、無は無じゃないし、
空の墓には、イエスはいないわけです。
エスの死んだ身体はそこにはない。
そこにはいなくて、
ガリラヤに居るって言う。
このパラドクスに「そうだ」と言えるというのはどういうことなんだろ。
神はいつだって自分自身を与えつづける。
空の墓ではもう天使が次の話をする。
とにかく・・・

世界のどこかで朝から晩まで世界のために生涯を奉げ祈っている人々がいますよほんと。観想修道会の修道士さんたちは、ほとんど日本で言えば「お坊さん」という感じで、なんとも親しみ易いというか、素朴というか、すなわちお坊さんだなと思いました。それで思ったというか、ちょっと確信。修道士(修道女)このカテゴリーで観想修道会も活動修道会も一緒にはけっしてできない。キリスト者というカテゴリーなら一緒でいいけど、キリスト者と言ったっていろんな生活形態があっていいはず。観想修道会と活動修道会では召された内容はずいぶん違うような気がする。で、逆にだからこそ、すべてのキリスト者としての共通部分というか、根本的ないのちの次元にきちっと降りて、信徒としての「兄弟性」を一緒に考えて行くことはできるんだろうなとも思った。