ドイツレクイエム



ブラームスのレクイエムを友が歌うというので聴きに行った。
150人の大合唱団、かっこいー。実はこれ生は初めて聴いたんじゃないかと思う。


ブラームスもバッハ同様、ルター派ということで、聴きながら、カトリックでのレクイム・ミサ曲との違いをまざまざと味わったという感じがする。なんだろうまく言葉にならない。展開がヘンデルメサイヤに似てるところがあるように感じたのは気のせいか・・・


日曜日にもう一回、聴きにいくので、きちんとたしかめる。

Dann wird erfullet werden das Wort, das geschrieben steht:
Der Tod ist verschlungen in den Sieg.
Tod,wo ist dein Stachel?
Hölle,wo ist dein Sieg?

Herr,du bist wurdig zu nehmen Preis und Ehre und Kraft,
denn du hast alle Dinge geschaffen,
und durch deinen Willen haben sie
das Wesen und sind geschaffen.

次のように書かれている言葉が
実現するのです。
死は勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死(地獄)よ、お前のとげはどこにあるのか。(一コリント15・51-52,54-55)
主よ、私たちの神よ、あなたこそ、
栄光と誉れと力をと受けるにふさわしい方。
あなたは万物を造られ、
御心によって万物は存在し、
また創造されたからです。(黙示録4,1)          


Hölle(地獄), Herr(主、神)この発音の近さを打ち砕くパラドクサルなフレーズ。


国本静三さんのHPから引用・・・

ドイツ・レクイエム Ein deutches Requiem Op.45」
<作曲の経緯>
ブラームスBrahmsドイツ(1833-97)は、30歳になる前にこの作品に着手はじめた。母を亡くした1865年、32歳の春には第1曲と第4曲を完成し、第2曲もほぼ仕上げていた。この第2曲がこの作品の源流的な部分であった。他の器楽曲や交響曲、協奏曲の楽章として構想していたが、“人は皆、草のようで”という歌詞の合唱曲へと移っていった。それはブラームスにとっては、母のに死に面したこともこの作品を作曲する一つの動機となっていると考えられる。1866年に完成し、1868年4月10日に初演された、現行の第5曲が欠いたものであった。やっと1869年2月18日、ライプツィヒで現行の7曲構成の形での初演が行われたのであった。

ブラームスは「一つのドイツ語のレクイエム」と名付けているように、これはカトリック教会における死者のためのミサであるレクイエムでない。死を考える音楽作品として構想した。ブラームスルター派に属する人であるが、この作品ではそうした教派を越えたものを考えたとも見ることができる作品である。テキストはルター訳旧約・新約聖書からすべてとられている。ブラームスの選択やその構成はブラームスによる。彼の宗教観や死生観が推し量られてまことに興味深い。
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/brahms_deutchesrequiem.html

幸いなる者、重荷を負った者、
慰めを受ける、涙のうちに種まく者、
喜びの刈り入れをするだろう。

これからはじまって、

幸いなる者、死者たちよ・・・

こう終わる。
すべて聖書から歌詞は構成される。
キリエ・エレイソンで始まるレクイエムとはやっぱ違うんだろうな。


ところで、ヘンデルはアングリカンだったよねと思いつつ調べてみると、さっそく国本先生は続けてこのように書かれている。音楽家の自由なエスプリは境界を越えてゆくのだなぁ。

ヘンデルカトリック音楽
バッハと同じくルター派の信徒して生まれたヘンデル(1685-1759)は、当時プロテスタントの最前衛であったカルヴァン派の教会でオルガニストとして就任、そしてイタリア滞在でカトリック教会を背景に作品を残している。教会音楽とオペラである。ここで紹介する2作品もその当時のものである。後にイギリスに渡り、英国国教会(我が国では聖公会と呼ばれる)の世界で生き、活躍した。さらにイギリスに帰化し、かの有名なウェストミンスター・アビー教会内聖堂墓所に眠っている。彼の信仰心はどのようにゆれ動いて行ったのだろうかと考えるとたいへん興味深い。身のふり方や移り身に巧みなヘンデルの姿も見え隠れしてくる。

ソプラノ独唱のための「グロリア」はロンドンの王立音楽院図書館における新発見の作品で、2001年3月にヘンデルの真作と断定された。ローマで22歳頃に作曲されたと考えられる。ミサのグローリアの部分がテキスト(ラテン語)として使われている。通作ミサとして作曲するつもりはなかったと思われる。

「主は言われた(詩編110番)HWV232」はソプラノとアルトのための作品で、上記作品と同じ時期のカトリック典礼の作品である。ラテン語のテキストは主日(日曜)の晩課で最初に歌われる詩編である。こうして3年あまりのイタリア滞在中にヘンデルは、ラテン語テキストによるカトリックの教会音楽を作曲していった。
http://homepage2.nifty.com/pietro/saggio/handel_gloria_ps110.html