Evenement

karpos2005-11-19



これ、今回の暴動への一つの視線だと思う。
Le Monde 11月14日、Emamnuel Toddさんへのインタビュー
Fracture Social(社会的断絶)で発言をしてきた方らしい・・・


まずこの事件の背景にある三つの段階的政治危機。

  • 2002年大統領選、二回目の投票で80%以上の票でシラク当選。
  • 今年5月のEU共同体憲法への国民投票でまさかの「ノン」。
  • 郊外のカタストロフィをどう終結、改善していけばいいのか予定がつかない。

これらの段階ごとに指導者層は脆弱になり一致を弱めている。


次に、社会・民衆層にある二つの敵対層を分析。

  • 競争社会に開かれたこの世界では現状は失業と給与下降、だから現状反対。
  • 二つ目の層は現状維持。自由貿易という避難壕こそ就業の機会を得られると現状理解。

で、三つめの層、今回火をつけている移民の少年たち。

Emmanuel Todd■車やバス、学校を焼くことは物凄い不安を引き起こしている。悪化さえしてる。それでもなお、今回起こったことに対して私は少し楽観的な解釈の方に傾いている。郊外の劣悪な状態に対して言ってるんではない。それらの地域では、一家庭の長の35%が失業してるし、就職採用の民族差別もある。しかし、私には今回の出来事そのものを見ながら、移民の子どもたちと、彼ら以外のフランス社会が、根本的に切り離されているようには見えない。私はまったくその逆と見ている。私はこの出来事を、マージナリゼーション(社会周辺化)への拒否と理解している。これらの出来事すべて、もしも移民のこの子どもたちがフランス社会の根底にある価値に内的統合していなかったら、あり得なかったのではないかと思う。たとえば「自由−平等」が一つであるといった価値とかへの統合として。逆に、もう片方の登場人物たち・・・政府の連れている警察や、地方の役人、移民以外の国民たち、彼らは苛立っているように見える、けれどもたぶん、今回の少年たちをまったくひとまとめにして全部捨ててしまうという気持ちはなかろう。
Q■つまり、あの少年たちが反抗したのは、彼らはフランスの共和国民モデルに統合して、したけれども、上手く機能していないから、ということか?
Emmanuel Todd■まさしく。私は彼らの反抗を、平等への強い憧れと読んだ。

後、フランス国家がどのようにして「人間論的平等」という価値に至ったかという歴史の話になる。


これを読みながら、まさに、ガッテンうなづいた。
♪教室の窓ガラス壊してまわぁった〜少年たちは社会と切り離されていない。
彼らのその行為でつながっている。ちょっとミリタリーですかね・・・ま、いいや。


あるジャポノログさんが日本社会のフリーター傾向を、まさに日本社会の根底価値にある「恥の文化」がそれを生み出したのだとの分析を聞いた(きちんと引用なしであしからず)。正規に就職できなくてもなんとか食べたり、身の回りのことができる程度の手当てでもって、とりあえず周りの人たちには面目を持たせる(これについては私自身きちんと著書を読んでみたいと思いました、わからないでもないが異論あり)。若者たちは、社会の鏡で、社会が持っている価値をきちんと反映させて彼らなりの行動によって一貫性を示している。フランス社会にある価値、(ここでは)平等への憧れによる暴動って話になっていくのだろうか。


ま、とにかく。


Emmanuel Toddさんの分析には「友情・公共」の筋金入りという印象。


挿絵http://fr.news.yahoo.com/051115/312/4oj3v.html