再び

はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。
ヨハネによる福音書16章20−23a

女が子どもを産むとき、苦しむものだ。
誰もその女のかわりに子どもを産んであげることはできない。
その苦しみ。
だけど、ウロウロしながらでも、いや、じっとその女を見つめ、
息を整えてあげたり、産湯を準備したり、さすってあげることはできるだろう。
同伴は、産婆のようなもの。
神の実りを生む人間のそのすぐそばで、じっとその様子を見つめている。
だから、あなたがたは心から喜ぶことになる。
再び。
かつてこの地上に生まれたとき、
天の天使の大軍が栄光の笛を吹き鳴らし、
喜び歌ったあのときのように、
こんどはわたしがあなたのために喜ぶ。
あなたの喜びをわたしも喜ぶ。