墓を立ち去り

婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。
マタイによる福音書28章8−15

ここに来て三年め、
でも、師匠を離れて、結局七年ですよ。
まさか七年目にして異国でお会いできるとは、思ってもみなかっ・・・タデス。
この七年の断絶がまるで嘘のようにほどかれていく。
先生、もうヘ語もギ語もまったくダメになってしまいました。
いやすぐに戻れる、大丈夫だ。
でも継続、大切ですよね。
それはそうだ。
とにかく新しいものに飛びつくな、聖書に基礎を置け。
懐かしい、故郷に帰ったような響き。
これがどうしても大切で、これだけは逃せない、この感覚を忘れちゃいけない。
この人は、ことばとことばの間に、というよりも、声と声の間に住んでる。
・・・
墓を立ち去り、走る。
伝承の根底にいつも新しさがほとばしる。
だからわたしも声と声の間にて目を閉じる。