週の初めの日、明け方

karpos2005-03-26

さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
マタイによる福音書28章1−10

マグダラのマリアともう一人のマリアがとぼとぼと歩いている。
すべてを失って、もう何もない。
絶対孤独のこの空虚さを、二人の女が支えあって、とぼとぼと歩く。
からの墓。
あなたたちの行く先は、墓ではない。
あなたたちが考えているような、そんな結末ではない。
十字架を立ちすくんで見上げたその日、
あなたたちの足に何かが始まっていることを、
彼がいちばんよく知っていたはず。
兄弟よ。
姉妹よ。
もはや、彼は教師ではない、彼は天上の人ではない。
すべてが成し遂げられた。
信じられないほど小さな物語が、永遠を語る。
・・・
写真:シャルトルのステンドグラス、パッション。
十字架が緑色の木として描かれる。
当時の人々の「いのちの木」のシンボルは十字架の死と復活が一つとしてはたらく。