地の塩、世の光

更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で/あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し/主の栄光があなたのしんがりを守る。あなたが呼べば主は答え/あなたが叫べば/「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと/呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。
イザヤ書58章7−10

兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
1コリントの信徒への手紙2章1−5

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
マタイによる福音書5章13−16

塩の存在意義について。
ルカにはもっと詳しく書いてあります。

塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。
畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ(ルカ14,34,35)。

塩に塩気がなくなれば、ですよね。

神学に神学気(ケ)がなくなれば、その神学は何によって味が付けられようか。
畑(心)にも肥料(スピリチャリティ)にも役立たず、外に投げ捨てられるだけ。

しかし、塩に塩気がなくなるとは、どういう状態なのでしょうか。
そういう塩を見たことないんですが。塩が自らを失う状態なのかなぁ。
(うちのおばあちゃんが、いやいや、古くなった塩はねぇ…とか言いそう)。
とにかく、実存的に問う、塩。
・・・
ところで光ですが、
光のこの存在の耐えられない軽さ(どこかで聞いた覚えが)。
当時の一般の家庭はたった一部屋だけだったから(実家みたい)、ランプをテーブルの上に置きさえすれば、部屋中が、ほわ〜っと照らされたんですね。
光は、そのまま置きさえすればよろしいと。
部屋中が、ほわ〜っと照らされるように、世界中が照らされてしまう。
この光のもってる、あたりまえすぎるほど(わかってる)の軽さ。
ありのままの光をまーっすぐに差し出して、
差し出した光を自分も見つめて、それに照らされちゃえばいい。
とにかく、あっけらかんと問う、光。