時は満ち

神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。いったい神は、かつて天使のだれに、/「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、/「わたしは彼の父となり、/彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、/「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。
ヘブライ人への手紙1章1−6

ヨハネが捕らえられた後、イエスガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。
マルコによる福音書1章14−20

時の重層性に目が開かれるなら、黙ってはいられない。

ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。ダニエル書12章4

それほどまでに人間の深層を伝って秘められて、ここまで来たのか。
時間がコップいっぱいに満たされる様子を見るわけにはいかない。
どうやってつかめばよいのだろ。
・・・
黙っていられない人たちの長い長い歴史を見ると(ここは西洋)、とりあえず考えてみる、とりあえず言ってみる、とりあえず行動してみる、というかなり曖昧な「信」に満たされているのがわかる。そして、こんなふうに今日もやってる。
http://catechese.free.fr/
ことば、ことば、ことば。
あーこんな深みのない世界はやだ!なんてけっして弱音は吐かない。