裂かれたパン

万軍の主はこの山で祝宴を開き
すべての民に良い肉と古い酒を供される。
それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。
主はこの山で
すべての民の顔を包んでいた布と
すべての国を覆っていた布を滅ぼし
死を永久に滅ぼしてくださる。
主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい
御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。
これは主が語られたことである。
その日には、人は言う。
見よ、この方こそわたしたちの神。
わたしたちは待ち望んでいた。
この方がわたしたちを救ってくださる。
この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。
その救いを祝って喜び躍ろう。
主の御手はこの山の上にとどまる。
イザヤ書25章6−10a

エスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして、山に登って座っておられた。大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。
エスは弟子たちを呼び寄せて言われた。
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」
弟子たちは言った。「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか。」イエスが「パンは幾つあるか」と言われると、弟子たちは、「七つあります。それに、小さい魚が少しばかり」と答えた。そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。人々は皆、食べて満腹した。残ったパンの屑を集めると、七つの籠いっぱいになった。
マタイによる福音書15章29−37

神秘の現場のなかにいる、人々。
あなたがわたしの背中を支えながら彼のそばに連れて来る。息もタエダエ、酸欠。
そうかわたしも神秘の現場のひとりなんだ。驚くことはないか、ふぅ、ため息。
誰かがわたしをこの集団のなかに連れてきて、あの人、この人に握手をさせ、名を呼び、痛いところに触れ、ふるえる寒さにマフラーをかけ、黙って、座らせる。
そして目を見つめて、小さな笑顔。
そこから始まる。
引き裂かれるパンは、この集まりのなかで裂かれる。
あたまが痛いのは脳の問題なんじゃなくて、からだのどこかの問題と連動して引き起こされている現象なんだよ。おなかがすいたらあたまだってうごかないかもよ。