チャドの姉妹


チャドから弟・・・じゃない妹が帰ってきた!
ある教会の青年会で話をさせていただいているところ・・・

このブログでも2月ごろ、チャドの内戦について報告したが、
今回の彼女の帰国はことのほか嬉しくてしかたない。
家族と、なにはともあれ無事に対面できるっていうのはこんな喜びなのか!って思う。
不思議なものだ、
遠くにいたら、いったいどうなっているのか、大丈夫だろうかって心配なのに、
近くにいたら、もう、そんな心配はどっかに行ってしまう。
元気にしゃべったり、飛んだりはねたり、何か美味しそうに食べたりしてるだけで、
もう、嬉しい。
家族って、近ければ近いほど、その大切さが分かんないものなのかもしれない。
ところで、
彼女が日本に帰ってきた!というのは、実は、
この下の写真みんなと一緒に帰ってきてくれた!ということでもある。
彼女が元気なのは、このみんなの元気と一つになっているから。
一人じゃない、みんなで生きてるから。
過酷な自然環境のなかでも家族で一緒に生きてるから。




かつて、日本が、被宣教国だった時代、
(「かつて」、と書いたが、今でもそうかもしれない)
海外からの宣教師、ミッショナリーが、日本に来て、
そして、彼らが、自分の祖国に帰ったときには、
日本の写真を持ち帰り、
社会のこととか、文化のこととか、政治や経済のことも話したことだろう。
日本に行ったことのない人びとは宣教師の話を聞き、
へぇ、そうなのか、そんな国があるのかと関心したり、興味を湧かせたはずである。
今度は反対に、日本から、キリスト教徒の宣教師が、海外へと行く。
キリスト教を学びに行くのではない、伝えに行く。
もうすでに何人もの海外宣教者は誕生しているし、
彼らも日本に帰ってきてさまざまな報告をし、
あらたな連帯の仲介者となって働いている。
考えてみれば、
この人たちの動きというのは、
世界という神経細胞におけるキリスト教シナプスのようなものだな。
彼ら/彼女らが動き、留まり、接合させることによって、
X(エックス)が通る。
つまり、福音が走るのだ。
この歴史は、2000年前の、
ペトロやパウロ、最初の弟子たちにさかのぼる・・・
キリスト者のひな型でもある。