サクラメント


Monolithes Saint Jean Baptiste Aubeterre sur Drome
4c-9c
Photo by http://rupestre.free.fr/aubeterre/



目の前の石がもはや単なる石ではなく神秘として顕現する。
これ、エリアーデなのだけど、
それを「キリストのからだ」パンの秘跡にあてはめて考えたとき、
やっぱりそれはヘンだ、なんか違うと思った。
そのように説明できるだろうし、してもいいのだけど、
なにかが違うという感覚だけが残ってならぬ。
上の写真は4−9世紀ころ掘られた洗礼のためのバジリカだ。
いちばん下の写真が洗礼のために水に浸かるところ。
そのまわりにサルコファージがたくさん掘られている。
10世紀以降は墓場としてしか機能しなかったバジリカ。
しかしそれ以前ここでいったいどのような儀式が行われていたのだろう。
洗礼は象徴的に死ぬことでもある。
このバジリカ、ちょっとリアルじゃないか。


目の前のパンがキリストのからだとしてわたしの前にあらわれる。
それはエリアーデの言うような「石が石でなくなる」ということとは違う。
死んでしまったイエス・キリストの死になぜか自分も一緒に死んだ、
そういうぎりぎりのところで、あなたと一緒にいるって話なんじゃないだろうか。
たぶんキリスト者にとって、
パンがパンでなくなるってことは、
ある意味どうでもいいことなのかもしれない。
たぶんそういうことじゃない。