生きている者

復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」
マルコによる福音書12章18−27

ちっちゃい坊やとパパの二人連れが向こうから歩いてくる。
すれ違いざま、こんな二人の会話が聞こえる。
手をつないだ手を振り払って、とつぜん坊やがうずくまったかと思えば、
「ねぇ、パパ、ボク、パンくずみたいにちっちゃかったんでしょ?」
うずくまって小さくなってる坊やを見つめながら、
「そうだよ」と、笑いながらパパ。
4歳くらいで、冠詞も過去形も完璧(笑)。ま、それはいいんだけど。
たぶん、○○ちゃんは大きくなった、生まれた頃は、
まるでパンくずみたいに小さかったんだよ、ってお家で言われてるんだろね。
自分が赤ちゃんだった頃のことを4歳の坊やが想像する。
おもしろいね。
ボク、こんなに成長したんだって、思ってるのかな。
「わたし、パンくずみたいに小さかったんだよね?」
自分もそんなふうに言ってみる。
けど、大の大人になって、誰にそれを聞けばいいんだろ。
いや、聞けるよ。
60歳になっても、70歳になっても、
いやはや100歳になっても、
聞いてみたい。
生きている者の神、天のお父さんに聞いてみたい。