サタン

こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。
ヘブライ人への手紙9章15、24−28

エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない。同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。
マルコによる福音書3章22−30

ひとことでサタンと言ってもね、幅があるんだ。
見てみよう。
ベルゼブル。Beelzeboul;Baal-Zeboub(ヘブライ語

2:アハズヤはサマリアで屋上の部屋の欄干から落ちて病気になり、使者を送り出して、「エクロンの神バアル・ゼブブBaal-Zeboubのところに行き、この病気が治るかどうか尋ねよ」と命じた。3:一方、主の御使いはティシュベ人エリヤにこう告げた。「立て、上って行ってサマリアの王の使者に会って言え。『あなたたちはエクロンの神バアル・ゼブブBaal-Zeboubに尋ねようとして出かけているが、イスラエルには神がいないとでも言うのか。・・・列王記下1章2−3

なるほど「肥沃のバアル(王様)」(異教?)。イスラエルの神さまじゃない、よその神さま。さすが律法学者、都から降りて来て、知ってること言ってます。
次に、悪霊(デーモン)。Daimon(ギリシャ語)
ギリシャ神話に出てくる天使たちの中の悪魔(デーモン)という語を、キリスト者たちが使用。「悪」を言い表すために好んで用いたテクニカル語。日本語に「悪霊」と翻訳したのはすごいよね。最近はデーモンなんとかっていうのもいらっしゃる。
そして、サタン。Satan(ヘブライ語
この福音記者、イエスには、サタンという語を言わせてる。
サタンの内輪もめで、彼は何が言いたかったんだろ。
サタンはしばしばイエスを誘惑したり(荒れ野の誘惑《マコ1.13》)、
心配するペトロにイエスが「退けサタン」と言ったり(私に従いたい者は《マコ8.33》)、
彼の意志するものに反する何かとして出てくるんだよね。
しかも、律法学者に言ってるし。
都からくだってきて偉そうな話する人間は彼は嫌いだよ。わかった?>自分
・・・
しかし、聖霊を冒涜する者、云々・・・。考えさせられるなぁ。
聖霊Esprit Saint。プネウマ、πνευμα、息(ギリシャ語)。
彼は他人から汚れたプネウマだと言われてた。
どんな冒涜もどんな罪も赦される、でも、神からの息(プネウマ)を冒涜しちゃいかん。
それをしたらあなたが苦しむ。それはだめだ。
彼は、せいいっぱいやってる。
痛々しいくらいに。
余裕があるように見えて、実は大泣きしてるのかもしれない。