ハグしたい…

身体性…

今週は祈りの授業の「身体性」というセクションの日だった。

春学期のオンデマンド授業、秋に入って半分zoomをやって、今年で7年目の「祈りの人間学」の授業は転換期を迎えてると思っている。

祈りはからだで祈る。

自分のからだで祈る。

こうして座ってPCに向かって、時間差で、空間の共有も無しで、どうやって?と思ったが、意外と一人一人がまるでカルトゥジオ会のエルミットのように隠遁し、内省するには相応しいのだということがわかってきて、ある意味ちょっと自信もついていたようなところがある。

でも、オンデマンドだけではわからなかった部分、zoomによって垣間見る彼らの今、ここ。そんなのをみていたら、「身体性」なんて言葉、むやみに使えないや、って感じになってきた。

なので、今回は思い切って、今まで授業でやった内容を捨てた。

ナラティブ・エクササイズに続いて、ナラティブ・ディスカッション。いつも黙って働いてくれてる「からだの声を聞く時間」をやった。

みんな外に出てないんだな。ほんとに外に出てないんだね。

言葉にならなかった「からだの声」「からだの呻き」を、意識が聴きとって、チャットに次々と綴られていった…

その中に、

「友だちとハグしたい」。

あぁ。そうだよね。ハグしたいよね。

この子は明らかに以前、友だちと「久しぶり〜」と言ってはハグし、「じゃあね、バイバイ〜」と言ってはハグしてたんだろうな。「来週のテストがんばろうね」「ありがとね〜」と言ってはハグし、「やったー、優勝だ!」と言ってはハグし、「悔しい〜涙」と言ってはハグしていたんだろう。

自分のからだはあの時のあのハグの感覚を覚えていて、あの喜びやあの悲しみ、ありとあらゆるハグの記憶を蓄えていて、でも、今は黙って何も言わず、オンライン授業だからね、みんな我慢しているんだから、お前も我慢しろよと言い聞かせて、からだは… 黙って耐えてたんだよな。

そうだよな。

大学生たちよ。うぅ、おばちゃんにも何もできないよ。

何もできないよっていう自分の感情を捨てないで、できることをやっていくよ。