クリスマスのメッセージ

メリー・クリスマス★

しみじみしているクリスマスだなあ…

論文追い込みをしているので、とってもパーソナルなクリスマスを過ごさせていただいております。そんななかでの本日の夕刊ニュース!ミサに行く前に読んで、メアクルパと思って出かけました。写真は去年のクリスマスのものコピペです、あしからず。でも、クリスマスメッセージはまさしく今年のもの。新鮮!すごい!


本日、朝日新聞夕刊の記事

「自らを批判し、改善できない法王庁バチカン)は病気だ」。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は22日、枢機卿らに向けたクリスマスのあいさつで、バチカン官僚主義的で内向きな体質を批判した。
 例年ならば一年の労をねぎらわれる場で、トップから強い「内部批判」が飛び出した。法王庁の問題点を「陰口というテロ」や「物欲」「虚飾に走る」など、15もの「病気」に例えて改善を促した。
 法王はまた「聖職者とは飛行機のようなものだ」と語りかけた。「ニュースになるのは落ちた時だけだ。だが一人が落ちれば、教会全体が傷つく」と述べた。
 昨年3月に就任したフランシスコ法王は機密文書の流出や、教会の資産を運用する機関のマネーロンダリング資金洗浄)問題など、醜聞が噴出した法王庁の改革に取り組んでいる。信者からは高い人気を得るが、法王庁内には倹約思考への不満もあるとされる。(ローマ=石田博士)
 ■フランシスコ法王が語った「バチカンが患う15の病気」 
 (1)自分たちが不滅で不可欠だという感覚 「自らを批判し改革できない法王庁は病気だ」
 (2)働き過ぎ 「仕事をしたら休むことが必要」
 (3)心が石のように頑固になること 「泣いている人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶ。人間的な繊細さを失うのは危ない」
 (4)計画しすぎること 「計画を変更しない方が楽かもしれないが、神のみ心に従う自由を失ってはいけない」
 (5)調和なく動くこと 「和が乱れれば、雑音が混じる楽団のようになる」
 (6)妄執や誤った考えにとらわれること
 (7)張り合ったり虚飾に走ったりすること
 (8)現実に向き合わないこと 「聖職者の役割を放棄して官僚主義的な仕事に収まり、自分たちだけの別世界を作る」
 (9)陰口を言うこと 「はっきり物の言えない臆病者の病気だ。『陰口というテロに警戒を」
(10)上司の神格化 「出世第一主義と日和見主義の餌食だ」
(11)他者への無関心
(12)お葬式のような深刻な顔 「伝道者は喜びを伝えなければならない」
(13)物欲
(14)閉じられた「内輪」を優先すること
(15)世俗的な利益を求め、見えを張ること

一言、感想…

バチカンとは何か?バチカンの聖ペトロ大聖堂の中に一歩入れば、まあ、言わずと知れた豪華絢爛、ギラギラした装飾物に彩られた《世界》に包まれるわけで、きらびやかだということだけではなく、歴史というか、それだけのことをしてきたんですよねえ、というか、立派なもんだなあ、みたいな、とにかく圧倒されつつ、そういう表層的な印象をもつわけだけれど、あの聖ペトロ大聖堂イコール果たしてバチカンか?と言えば、そういうわけでもないだろう。あの奥に拡がるさまざまな「省」で、Institutionの権化みたいな、いわゆる《巨大宗教団体》を取り仕切っているわけだから、ただ、豪華絢爛なことばっかりやっているわけではないんだろう、と思っていた。

とはいえ、何をやっておられるのかは、一般信徒のわたしのような者には計り知れない。その奥に拡がる世界について、トップの教皇さまが、ぐぐっと食い込んだ発言をされる。「バチカンが患う15の病」、おお〜、バチカンは患っているんだ!そうか!とわたしは気づく。教皇さまの思惑というか、ポリティークでしょうか、きっと、《教育的配慮》があるに違いない!と、プラクティシャンの端くれのような者には、わくわく、ドキドキするわけだ。実際、バチカンで働く方々が、どのようなお仕事をしておられるか?そういうことってあまり明らかにされていない(各省から発布されるドキュメントは見ることができてもofバチカンサイト)。そういう具体的な働きが明らかにされていない中での「患う病気」発言となると、明らかに、心情的な次元に訴えかけられた発言ということになるんじゃないか。


この1〜15までの《バチカンが患っている病》への指摘は、わたし自身にも言われているように聞こえる。


わたし自身もこのくらいの病は患っている。「(2)働き過ぎ 「仕事をしたら休むことが必要」」おっしゃるとおり!「(4)計画しすぎること 「計画を変更しない方が楽かもしれないが、神のみ心に従う自由を失ってはいけない」」ほんとうにそうですよ。どれもこれも納得だ・・・。これを読んでいると、たぶん、バチカンの中で働いている人たちも、くすっと笑ってしまうような話しなのではないかと思えてくる。教皇さまのユーモアのセンスと、深い愛情を感じる。《体質の批判》なのだけれど、愛を感じる。体質の批判をするために、お葬式のような深刻な顔してちゃ、ダメだよ〜っていう。大真面目なバチカンの高官にむかって、「あんたね、お葬式のような深刻な顔してちゃ、ダメよダメダメ〜」って言う教皇さまって、いままでいたかなあって思う。ほんと、おどろき。

実際、1〜15のこの指摘ね、机の前に貼っておこうかと思ってしまう。バチカンの高官たちも、こういうふうに言われて、どうなんでしょうね。それこそ、大真面目に、ちきしょーとか思っている人いるんでしょうか?それとも、言われちゃったな、あはは、みたいな感じで受取っているんでしょうか。それとも、真剣に、このままじゃ、ダメだーと思って、回心しようと思ったり?しかし、大真面目に、ちきしょーとか思って、教皇さまに向かって、悪口とか、陰口とか、足ひっぱりみたいなことしたら、それこそ、『陰口というテロに警戒を」を己がやっていることになるんだから、ドツボです。

なので、1〜15のこのメッセージ、いいです。クリスマスにほんもののメッセージをくださった。一つ一つ読んで、心に聞いて、考えて、「どういうことだろ?」って思い直して、バチカンにお務めしているって、どういうことなんだろ、とか。根源的なこと考えたり。実存的になったり。いったい、わたしって誰?みたいな。「(14)閉じられた「内輪」を優先すること」それは、病気ってことなんだね!とか…


とにかく…メリークリスマス。これから光が大きくなっていく季節。光のなかで、大きなお父さんが笑顔できびしく叱ってくれる。

とはいえ、事はそんなに軽いもんじゃないらしい…

http://www.la-croix.com/Religion/Actualite/Pape-Francois-le-texte-integral-du-discours-des-15-maladies-2014-12-24-1284566

めっちゃ、反省モード…