朝の公園

朝、起きて、「そうだ!ここはパリだ!」って思ったら、このまま寝ているのがもったいなくて、一番のりで食堂に行き、誰よりも早く朝食を済ませ、あの公園に行った。あの公園、懐かしい公園。朝早くそこに行けば、きっと気持ちがいいに決まってるって思っていたが、一回だって朝早く行ったことなんてない公園。朝いちばんはきっと特別な空気に違いないと想像だけしていた公園。ああ、こんな時にそんな夢がかなうなんて!「あたしゃ、いつもウオーキングしてまっせ」みたいな顔して、昔通った大学の、目をつむっても歩ける道を、歩いて行った。
そして、観光客みたいに写真を撮った。
やっぱり写真撮りたい。
←こういう写真。こういうバカみたいな写真が撮りたい。ここに居た頃、一人でうろうろ歩いてはこういうあほらしい写真を撮ったものだ。時間があったんだなあ。東京では写真を撮らない。そもそもブログも書かない。何を書いたらいいのかさっぱり分からないし、何の写真を撮ったらいいのかさっぱり分からない。あまりにも日常がミルフィーユ(註:これmillefeuilleね、ミルフォイユって発音なはず。mille-fille千人の嬢ちゃんじゃない)のように丹念に重なっていて―それはそれでザックリとフォークを縦に入れて口に運ぶととっても甘くて美味しいものなのだが―間(あいだ)がないのだ。ブログを書いたり、写真を撮ったりする隙間がないのだ。

この写真はジョギングのお姉さんが撮ってた位置から撮影→
うわー、逆光じゃないですか?お姉さんが撮ってたからきっと奇麗な写真に違いないと思ってたのに。アングルはいいですよ。しかし光が足りない。朝ですから。写真右手から太陽がちょうど昇っていた。iPhoneで撮ったのだが、私はまだiPhoneの使い方もよく分かっていなくて、たぶん露出調節あるのかしら。
私はこのお城、お城に向かって、つまり北向きに立って写真を撮っている。右手から朝日が昇る。大きな噴水のあるお池を前に。ところで、このお城は南向きに建っているわけだが、お城の住人は、お城の中から南向きに立って、この素敵なお池を眺めることになる。東から昇る朝日と西へと沈んで行く夕日をお池を中心に眺めるのだ。月もそうだろう。昼間は太陽の輝きがお池の水面に反射し、夜になれば、月の光がお池に映る。なんてロマンチックなんだ!
観光客な私は、お城のこちら側から、お池のあちら側のあの宮殿のバルコニーに立った時の景色を想像し、広大な庭を眺める人の思いへと心を馳せる。この素晴らしいお庭は、誰かれかまわず多くの人を迎え入れ、朝早く、ジョギングする人も、ウオーキングする人も、行く場がなくて呆然と立ち尽くす人も、みんなそこにいていいんだよって声なき声で癒してくれる。

光が足りないって、思うことあるよね。思うことあるなあ。
昨日も夕方、縫い物をしていて、最近老眼がひどくなったものだから、針の穴に糸が通せない。糸が細くて、縫ってる最中も糸が見えない。結局、縫い目が散々な状態になったのだけれど、ああ、部屋の光が足りないんだ、んもう〜って思ってしまった。しかしそんな文句を言いながら、昔、私が中学生の頃、ママさんが「目が見えんけ、針に糸を通すのができんのんよ、あんたには分からんじゃろ」って言ってたことを思い出した。私もママさんの年齢に来て、「ああ、このことだったのか」とやっと今、分かった。あのときは「あんたには分からんじゃろ」と言われても、中学生の裸眼1.5以上の私にはまったく分からなかった。共感してあげることはできなかった。老化現象という様々な身体の衰えのうち、老眼というのはかなりはっきりした形でやって来るものなんだなって、昨日はつくづく思った。あのとき、私が中学生のとき、分かってあげられなかったのは当然のこととしても、ちょっとでも優しい心で、針の穴に糸を通してあげていたら、もしかしてもっと違った人生になっていたのかな、とか思ってしまう。これも、ここで、私の心に隙間が出来た結果かな。異国に来て、いろんな意味で自分も不自由を経験して、言葉とか、習慣とか、やっと回心モードになろうとしているのかもしれない。ありがたい…

光が足りないわけじゃない。私自身が老化現象にあるのだ。針の穴に糸が通せなくなっている、昔なんでもなく出来ていたことの一つが、こうして出来なくなっている、ただ、それだけだ。この弱くなっている自分を包み隠さず表現する。すると、光が足りないというよりも、藁をもすがる思いで光に頼っている自分に気がつく。
意識のエクササイズ(糾明)のとき、まずは光を求めるが、光を求めている自分の状態が逆説的に光に照らされて見えて来るということになる。イライラしたり、腹がたったり、八つ当たりしてみたり、そんな私は自分を棚に上げて、光をもっとちょうだいよ、って願うが、光は無理に願わなくてもある。あるんだよ。

というわけで、パリ、ルクサンブルク公園の朝、ウオーキングして、気持ちのいい朝の空気を体中に入れて、パリ滞在の始まり。日本にいないときばっかりブログ書いてるって言われるが、本当にそのとおりだ。そもそも、日本にいるときは、みんなに会ってるわけだから(会ってない人もいるけど)、ブログ書かなくっても喋ってるわけだから。・・・というか、外国に行けば、独り言が言いたくなるのよ。普段の十分の一も喋ってない訳だから、不自由だから。えへへ…