今日の一枚:8月15日被昇天の祝日


8月15日はマリアさまの被昇天の祝日。やはりメダイユに行きたいなぁと思ってた。そしたらものすごい行列ではありませんか!そう、マリアの被昇天の祝日に不思議なメダイ教会に行こうなんて考えが甘かった。行くとすでに、門の外100メートル以上、パリミッションのあたりまで行列が並んでる。ひゃー、マ・スール!これ中に入れるんですか?と聞けば、一番後ろに並んでみるしかない、と言う。えーこれで入れなかったら、ミサ出られない〜と思いつつ、周りの人たちと「入れるんかね?入れるんかね?」と言いながら待っていたらけっこうドンドン進んでいく、でも、ギリギリだった・・・

一階は満員、二階も満員、三階のトリビューンに!

天井桟敷の人々の気持ち・・・

でもこんなに上まで来たことがなかったんで、ちょっと嬉しかった。ただこの天井桟敷って落ちやしないよねってちょっと心配だったりして。しかし私のすぐ後ろの人々はまだまだ50メートルとか並んでたと思うけれど中に入れなかった。あと5分も遅れたら聖堂には入れなかったと思うと、「早くきてよかった」という気持ちと「後の人たちに申し訳ない」って気持ちの両方が交差した。

ギリシャレバノンからの巡礼者が来られてたみたい。司式はレバノンの神父さまだった。メルキト式に奉献文が先にくるんだよね。

実は私「不思議のメダイ教会」は好きなんだな。ここに来ると非常にシンプルな気持ちになれる。ルルド同様、非常に単純な民衆信仰みたいなものが根底にあって、いわゆる「崇敬(ディボーション)」なんだだな。とはいえもちろんメダイをお守りにしたい・・・という気持ちはない。それを配ってどうのこうのという気持ちもない。だけど、自分の内にある「すがりたい」「分かってもらいたい」「ほんとうのところはこうなんだよ」みたいな「もろい」ところを「露わにできる」という場がこの世にあるって、単純にありがたいことだなぁ〜と思うのだ。ルルドもそうなんだけどね。

ミサの終わりにいろんなアナウンスがあって、その中で、死者のために祈ってもらいたい人は・・・どうぞみたいな話があった。あぁ、たぶんここではそれは続いてるなと思った。もちろん日本では続いているが、多くの場合、西洋ではかなり死者のための祈りは減少しているはず。あるいは死者のためにミサを捧げるという考えは遅れていると思われる場合もある。遅れるも進むもなく、ひたすら、メダイに託されたマリアさまの思いにより頼む人たちがやってくる。