BNちゃん

ご近所のBNちゃんとうちの姉妹たちはけっこう友だちで、よく声をかけあっているらしい。

私は去年あたりからこの辺をうろうろしているけど、まだBNちゃんとは友だちってほどじゃない。この辺を歩いているときに、努力して、視線を合わせ、ちょこっとうなづいて挨拶するくらい。やっとできてきた感じ・・・。

BNちゃんも、どちらかと言えば愛嬌がいいほうじゃないから、ほとんど誰の顔も見ないでスタスタと歩いている。ま、やっと、ご近所同志だってことは認識され始めてるかな。

今日、Hさんと一緒に歩いていて、彼女が向こうから来るBNちゃんに、「あら〜BNちゃん、お久しぶり〜。今日はあたたかくてよかったねー」と言った。それでBNちゃんはニヤニヤっと、「へへへ」とも「フフフ」とも言えないような息で笑った。

私は、そんなこと言うのって失礼なんじゃないかと思い、「ちょっとHさん、あたたかくてよかったねーはないんじゃないの?」と彼女に言った。だって、毎日寒い思いをして野宿しているのに、と思ったから。

すると彼女は、前にBNちゃんが怪我で入院しているときお見舞いに行ったら「早くここから出たい」って言ってたし、○○の家に一緒に行こうと言っても「絶好調!」って笑うのよ、だから、BNちゃんとはこうして普通の会話をするの、と答えた。

たしかにBNちゃんと今日すれ違ったとき、HさんはBNちゃんと「一瞬だけ」の会話を交わした。「一瞬だけ」であって、それ以上でもそれ以下でもない笑顔の交換だった。

私はどこか気の毒だという思いが抜けないでいる。だからといって何かの行動をしているわけでもない。

そんなことを思っていて、今晩クローズアップ現代で、「“助けて”と言えない 〜共鳴する30代〜」http://d.hatena.ne.jp/eirene/20100120が放映されていた。たまたま見ていたんだけど、方向としては「そもそも一人では生きていけないもの、必ず誰かの助けを求めたらいいんだ」という話に向かって行ったようだった。番組に登場された取材を受けた30代のホームレスの男性の「助けてとは言えない、自分が悪い」という言葉はとても深く心に突き刺さったし、大きな悲しみを感じた。「そこ」と、「助けを求めたらいい」「例えば、寄付とか・・・」という投げかけとがどうしたらつながっていくんだろうかと自問した。

十把一からげにはいかない、けっして・・・

今年は梅が咲くのがはやい・・・。秩父の蝋梅は今が見ごろだって西武鉄道の壁に貼ってあった。あたたかくなってくるのはいいな。BNちゃんも笑ってた。BNちゃんとHさんは一瞬の友だちだ。それ以上でもそれ以下でもない。