H STORY

某集まりで、映画『ヒロシマ・モナムールHIROSHIMA MON AMOUR 邦題、二十四時間の情事(1959)』アラン・レネ監督、マルグリット・デュラス原作の話が出て、そういえば、諏訪監督(広島ご出身)のH Story観てなかったと思い、借りてきて観た。

H STORY [DVD]

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だからこの映画はヒロシマ・モナムールのリメイクなんだと主演のベアトリス・ダルも分かって出演しているんだし、じゃあ「リメイクだとしても、まったく同じ台詞を言うのがヤダ」みたいなことを言ってる場面を撮り続けているこの作品事体、ヤラセじゃないの?みたいな想いにもなり、あぁそうだ、そういうドキュメンタリー風な感じに仕上げてるんだよね・・・と、いろんなことを考えながら観ていると、気づかないうちに、映像=架空と現実=観客(ワタシ)の隔たりをだんだん埋めてしまっていることになっていた。
そして、あのヒロシマ・モナムールの中心的テーマでもあった≪関係不可能性≫の閾に耐えがたく巻き込まれてしまっている自分がさらけだされる。
途中、諏訪監督と町田康さんの二人の対談場面があるんだけど、ヒロシマ・モナムールを一回通らないとならなかったみたいなことを言う監督さんのいらつきに嘘は感じなかった。
問題はあの、イライラへの耐えがたさ、なんだろう。
広島から遠く離れていても感じるあの町が放つイライラはどこから来るんだろうね。距離じゃないな。念みたいなものか。

Lui
Tu n'a rien vu à Hiroshima. Rien.
Elle
J'ai tout vu. Tout.


君は広島を見ていない何も
彼女
私はすべて見た。すべて

ヒロシマ・モナムールでデュラスが冒頭においたこの会話は印象的だ。「広島を見る」ということがどれほど耐えがたいことか、デュラスはかなり分かった人だなって思う。