話す、うなずく、腕を組む


この三日間、少人数での「話し合い」というのをしていたんだけど、このように少人数だと、20人とか30人での集まりとは違います。非常に濃縮された「話し合い」になりますね。
20人以上の話し合いですと、休憩がてら、ノートの端に落書きをはじめたら、その落書きがかなりな展開をし、色までついたりして面白くなります。いつもの話し合いの感じで今回も落書きを始めましたが、ノートの端、2〜3センチ程度の落書きで、まったく展開することなく、色も二色ほどで、地味に終わってしまいました。少人数だと、話し合いに参加せずにはいられず、もしかするとノートに落書きをしているのも向こうの人から見えたりしたり、あんまりそこに集中していると話あいにもならない、というか、このたびは結局のところ、落書きをする暇なく、話しに夢中になっている自分がいたのでありました。
誰かが話している話に、うんうんと、うなずく。
うんうんとうなずいている間に、自分の脳裏に何かしらの像が生まれる。
生まれた像は、ことばとして相手に伝えたくなる。
それを受けとってもらえたら、誰かがまた別な像を話してくれる。
うなずいているだけでは、頭がだるくなってくるから、
その頭を支えるために、腕を組む。
少人数の話し合いというものは、とってもアクティブなものですね。浮かんでは消え、また、浮かんで消えるさまざまな像をこうしてキャッチボールしながら、話し合いははずんでゆくのです。
とてもクリエイティブなお仕事ですね。
それで、このゆたかさを「ひとりになったとき」祈りのうちに反芻いたします。
わたしの胸の奥やお腹のなかに、あるいは眼のうしろやほっぺの表面に、うっすらと貼りついている像を眺めながら、
再度むしゃむしゃ食べるのです。
むしゃむしゃ食べると、美味しい。
うぅ、苦い!って思うときもあるかもしれません。
でも、それでも、むしゃむしゃと・・・
せっかく濃縮な話し合いをしたあとは、その味わいがわたしの肉にまでしみ込んでくださるようにと思います。
しっかりと刻み込んで、みんなの味わいのある「みんなのわたし」になれますように。