アキレスと亀


封切りしているんだけど、行けてない・・・
予告編だけでも。

先日、「売れてない?」研究者同士が「学食」で昼食し、楽しくおしゃべりした。
自分の年なんかも考えながら、そうだなぁ、一生「研究し続ける」とか「絵を描き続ける」とか「文章を書き続ける」とかっていうのはタイヘンなものだとしみじみ思った。
この手のものってなんか「どこまで行けば」っていうのがはっきり決まってない仕事っていうか。ま、仕事っていうものは何でも全部そうなんだろうとは思うけどね、もう一つは、「今やってるこれ」で「食べて行けるか行けないか」ということが判断され、今自分がやっていることが仕事と言えるのかどうかも決まってくるという側面もあって、これが何といっても辛さを感じさせるものなのである。
(先日、ちょっとテレビをつけて見たら、年収いくら?みたいな番組をやっていて、舞台女優の仕事のはじめ頃っていうのはほとんど給料もない、外部でバイトをしてやっと・・・というのをやっていたが、そのような「お金にならない」仕事ってけっこういろいろあると思う)
で、私の出自が「芸」ってこともあって、これがまた「仕事として食って行けるか行けないか」が、常に身に刺さる分野であった。「どうやったら食って行けるのか」というのが「芸」を始めた頃からの「問い」であった。自分の能力からして演奏で食って行けるはずがない。それはもう分かっていた。だから、最初は、演奏でお金がもらえるような人びとにくっついて「その司会者」の役をもらい、地方のデパート等のフロアーコンサート・マネージメントなどということをしていたこともある。
今思えば、あれも生きる知恵だったのかと思ったり。
言ってみれば「教育学」という分野に方向転換したのもやはり「食っていかねばならなかった」からなのだと思う。もちろんあの頃は「理想」に燃え、走り回った。子どもたちが音楽で育つのを見るのが楽しかったし、自分も多くのことを学んだ。
しかし、あのとき、自分の才能のなさに対して「これでは食って行けない」と、もしも封印しなかったら、どうだっただろうか?とも思うんだ。
わたしの心の底の底にはいつも、音楽への憧れがうずいていて、それは決して消えることがない。今でもそうだ。だから、たとえば、才能がないから「それで食ってはいけない」って分かっていたとしても、それでも「好き、だから」やっているっていう自分の人生もあったのかもしれないな、という・・・。そう、「追い続けている自分」っていうのは、実は、今でも、自分の中に生き続けているんじゃないかって思うんだ。
さて、結局のところ、修道者として生き延びているわたし自身の生活には「これで食べて行ける」というものはない。修道共同体内の分かち合いという生活形態によってはじめて支えられ、生きている。皆がわたしに、今、これを調べてくれ、これを深めて、人びとに分かち合ってくれというこの「願い」によって、わたしの「食って行けない」研究生活は成り立っている。「追い続けている自分」という自分が「何を」追い続けたらいいかということを、たぶん、他者との生活によって発見した、これが、わたしの生活なんだろうと思う。
今回の北野の「アキレスと亀」が楽しみなのは、そこに「狂気」がどうからんでくるんだろうかってとこ。
アートって、たぶん、「追い続けている」だけじゃだめなんだろうな。
何を追い続けているかが分からないと。
そして、「何を」を決めるのは、他者との関係性を生きることになるだろうし、葛藤だし、エロスだし、歓喜だし、狂気なんだろうなって。ちなみに、アートって意味には芸術ってだけでなく「業(わざ)、術、技術」って意味もあるんだよね。
他者っていうのは言うまでもなく、他者だよ。