キューブ


オリンピックの水泳競技場
http://en.beijing2008.cn/news/olympiccities/beijing/n214477800.shtml

大胆な建築だワ・・・
びっくり。
今年の冬には開会式ボイコットとか言っていたのにもうどこ吹く風だな。
やっぱり祭りだから、せっかく準備してきたし、参加者の気持ちになってみたら・・・とか、単純に開会式見てみたいって気持ちもあるしね、世界中の人びとが集まってくるだろうし、テレビの前に釘付けだろうな。
↓のWYDも世界から集まってきて、自分の国の旗を振っているんだけど、レバノンとかチェコとか政治的に意味ありげな旗を見ていると、カトリック/青年/世界/政治的状況/宗教・・・の「歴史」と、その「歴史」の現地点(つまり「今」)にいるにもかかわらず、「今」の不透明さに困惑してしまう気持ちになる。
B16もJP2もものすごい象徴的(政治的に)な役割をしているにもかかわらず、実にそういった役割からはイノセントな、言ってみれば「はだか」なひとりの人間でしかない表情をときおり見せているのだ。
あなたはわたしを誰と呼ぶか・・・
彼らはイエスのこの問いに答え続けているに違いない。
宗教がもつ政治的なファンクションってたとえそれがあったとしても実に使えないものじゃないか。使えているって思ったらそれは傲慢のような気がする。ただ、使えていようが、使えてなかろうが、それに巻き込まれ、振り回されているということがあるならそれは悲しい。こういうマスな集まりに自分が夢中になれないのは各国の旗のせいもある・・・、たぶんわたしにはまだ乗り越えていないものがあるんだろね。