カテ


以前の「公教要理」という語感からすれば「カテ」になると雰囲気も違ってくるものだ。
並べてみると違いが分かる。

以前の公教要理のイメージ Catéchisme — Wikipédia


現代のカテケージスのイメージ、カテと言う http://catholique-vannes.cef.fr/site2/03-02.html


上の方だとなんだか怖いおじさん神父さんがちゃんと暗記してるかどうかを調べているような感じだが、下の方だと子どもたちが今まさに、キャンプか何かで「さあ走りだすぞー」って勢いだ。子どもたちは、海辺で遊びながら、砂浜を走りながら、海の小動物とたわむれながら、大空の下で「何かをつかんでいく」ということなのだろう。
神さまを知るための方法論の違い。それがカテケージスのランガージュ。
Fais la pause,CATE !
Fais la pause ! ちょっと休もうよ!みたいな。
これって休憩時間なのか、これ自体がカテなのか、その辺りはどうだっていいって感じだよね(笑)。
上の、真面目くさったおじさん神父と子どもたちのつまんなそうな顔(でも一生懸命)とは対照的だ。
100年たって、カテケージスのランガージュはこんなに変化してる。おもしろいねっ!
子どもに《信》を伝えるという営み、とにかく切らしてはいかん!方法論は違っても中身は一つ。

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追記★しかしたまたまこの写真がそうなんだけど、女子二人男子二人って構図は同じだな。違いは神父がいるかいないか。下の写真で神父さんとかが登場するとなると、どんな風貌で出てきたらいいのだろう。アイデンティティ問われますネ。シスターもだよ。あ、カテキスタと言われる人びともよ。
あんとに庵さんがイメージ描いてくれたら嬉しいかも(^^♪