現代のキリスト者


id:eireneさんが、現代のキリスト者に必要な教養について書いておられる。
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20080625

現代のキリスト教徒に必要な教養は何だろうか、と時々考える。
聖書学 → 歴史的・批判的な方法にもとづいて、聖書の読み方を学ぶ。
教会史 → キリスト教という制度・組織が、世界史のなかで果たしてきた功罪について学ぶ。
哲学史 → 「存在とは何か」を問う形而上学の歴史を学ぶ。
科学哲学 → 科学的な知識の成り立ち、その特質と限界を学ぶ。
これぐらいは必須ではないか。というのは、どれかを欠くと信徒の精神のバランスがうまく取れないと思うからである。神を信じるという態度を人間の経験全体のなかに適切に位置づけるには、それなりの勉強と時間が必要なわけで、なかなか大変だ(現代は忙しいし・・・)。神を信じる機会を与えられるのは偶然かもしれないが、それを深めていくのは一生の課題なのだろう。

その前に、生徒の腕に「十字架」焼き付けた教師の解雇について触れられていて⇒http://d.hatena.ne.jp/eirene/20080624 このような事件が起こってしまうことへの反省として「キリスト者の教養」について考察されたものと思われる。
いわゆる現代、信仰者にとっての「カテケージス」(信仰要理)がどうなっているのか?という問いをするとき、eireneさんの問いは非常に重要な問いなのではないかと思う。
そして、上記引用のさいご、

神を信じる機会を与えられるのは偶然かもしれないが、
それを深めていくのは一生の課題なのだろう。

これは非常に深い!神学的問いだと思いますっ。