チャド司教団クリスマス・メッセージ訳

Aちゃんから送られてきたプリント訳してみた・・・
これが去年の12月だから今回の戦争勃発までに道のりがあったことが分かる。
たぶんすべてのキリスト者へのメッセージでもあると思うので、ここに掲載。

チャド司教団 クリスマス・メッセージ
2007年12月
Jean-Claude BOUCHARD,パラ司教(チャド司教協議会会長)、Mathias NGARTERI,ジャメナ大司教、Charles VANDAME,ジャメナ司教、Michel RUSSO,ドーバ司教、Edmond DJITANGAR,サー司教、Miguel SEBASTIAN,ライ司教、Rosario Pio RAMOLO,ゴレ司教、Joachim KOURALEYO,モウンドゥ司教、Henri COUDRAY,モンゴ司教

 ほんとうの平和のために 

《主よ、あなたは、あなたに信頼をおくすべての人のために堅固に平和を築かれる。どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。》(イザヤ書26、2−4)

キリストの兄弟姉妹の皆さん、
善き心を持つすべての人々、
神が愛するあなたがたすべての人に!

1. ご降誕に向かっている私たちが聞くイザヤ書預言者のこの言葉は、今、私たちの国が生きている非常に緊迫した状況の中で、何かを理解させ、強く私たちを照らしてくれます。すべての人、戦争をしている人々も合わせて、すべての人が痛切に平和を望んでいます。しかしどのような平和が必要なのでしょうか?私たちの愛する国のためにどのような平和を待ち望んでいるのでしょうか?預言者はすべての人のためのほんとうの平和、堅固で永続するような平和が神から来るその時を、私たちに思い出させるようにここに来ます。平和は神にその基が置かれるのです。(神の)《岩》に基礎を置きます。平和は神と自分たちの隣人を尊ぶ人々にしか与えられません。神の言葉を聞くという司牧、そして、私たちに託された民の吸う息(心からの願い)を聞くという仕事、これは私たちが絶えず呼ばれている使命ですが、私たちがこのメッセージを書いている今この時、軍隊の騒音が火花を散らし、私たちの大地は死傷者の血で真っ赤に染まっているこの時には、よりいっそう託された使命が重要なのです!司教協議会の集まりにおいて、私たちの国全体がまたもや暴力と戦争に浸かっているひどい危機に無関心ではいられません。

暴力と戦争の劇的な情況
2. 現在、国の東側の地方で再度勃発した軍の敵対という情況下で暴力が結集されています。また、東側だけではなく暴力はあちらこちらで蔓延しており、それによって、住民の意識の中に絶望感や責任の放棄というものも引き起こされています。私たちの村の商店街、村の居住区、学校、公的機関はしばしば起こっている血のにじむような致命的な共同体間の強い緊張を覚えています。これらは他者を軽蔑する傾向があるという事実や、それぞれを優先的に自分自身や自分の種族へと閉じこもらせようとする何ものかによって強く感じさせられるフラストレーションのしるしであります。不幸な漂流なしに、平和な共存は可能でしょう、そしてそれは美しいものでしょう。しかし、これらの問題への救済策や安全部隊をもたらす代わりに、民の首長たちは多くの場合、彼らに本来託された使命とは反対のことをしてしまいます。そこには信仰も法もなく、全ては罰を受けなくても済むようにできていて、危険そのものである軍隊を組織しているのです。公的事業の管理にあたっている者たちもしばしばゲリラのようなやり方で行っている状態です。
3. この数年以来の私たちの国が知る戦争情況は収賄の一般化を引き起こしています。これは、現在、社会の全てのシステムに及び、個人的な次元から公的決定機関まで全てがそうなっています。この歯車装置の中で引き起こされるようなことを拒否する者たちはすべての責任ある立場から疎外されるというリスクにあってしまいます。結局、だんだんと、資格もなく、養成や経験の考慮もなく、誰かに媚をうることによって人が行政や決定機関のような重要なポストにつくということになっています。税関、警察、軍隊に携わる人々、そして商人たちもが、国の財を犠牲にし、個人の利益を得するように働きかけるグループによって独占させられる傾向にあります。それは誰からも反対を受けないという状態です。司法決定機関でさえ、そこは大きなプレッシャーを受けており、英雄的な司法官が排除されるように仕組まれた収賄によって、だんだんと正義を行うことが不可能になってきています。最低限の人権、まずはすべての人の尊厳が守られること、特に最も弱い人の人権が守られるということはまったくないがしろにされています。
4. このような状況を前にして、多くのチャド人は、アルコール中毒うつ病に陥り、また他の人々は国外亡命を試みています。市民社会は、組織も、考える方策もないので言葉を失っており、解決策を投じるに至ることもありません。多くの政党団体は妥協という罠に陥り、民主主義的文化の実際を私的に用いるという傾向があるので何かを形にするということをしません。それらの政党はもう仮死状態であり、国家共同体のための帰結はあまりにも深刻な状態です。それに対し、他の勢力として反政府のグループが多く反応しています。彼らは自分たちで軍隊を持ち、この軍隊が、結果として、暴力と戦争の不協和音が永遠に続く螺旋のようなものとなっています。何千という人々が危険な地域から離れなければならず、自分の家から遠いところに異動しなければなりません。忘れてはならないのは、すべての悲劇の中で罪のない子どもたちがもっとも大きな被害者となっていることです。暴力と戦争は終ることなく人的にも物的にも大損害を引き起こします。そして、倫理的なセンスや人間の生命の価値の喪失を引き起こします。民衆は貧窮のどん底に落ちます。そもそもこの国には石油や価値の高い鉱石があって、それを理性的に輸出したり、正義にかなって平等に使ったりすれば、貧困の救済に役立つはずのところが、このような貧困に陥っているのです。

出口のない状況?
5. 政治的対立や軍備組織がある中で、平和への協調に向かうように引き続いて行われている試みは、暴力と戦争を終結させようと称賛すべき意志を表しています。しかし残念ながら、この試みはまったくうまくいきません。なぜなら、これらの協調は、対立する政治団体の願いにも、民衆の願いにも一致しないからです。預言者エレミヤの言葉は、現状の嘆きを表しています。《彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う。… 彼らの舌は人を殺す矢、その口は欺いて語る。隣人に平和を約束していても、その心の中では、陥れようとたくらんでいる。》(エレミヤ6.14;8.11;9.7)
6. 私たちは、何度も何度も繰り返して、神の言葉によって勇気づけられ、和解と平和の道を一緒に探すための呼びかけを放ってきました。例えば、2006年4月26日のドーバ(Doba)の宣言は国の状況に関わる全ての政治団体の間の折衝を構築する緊急な呼びかけでした。しかしこの呼びかけは、関係のある人々からも、国際決定機関からも、チャドの国家に影響力のある人々からもまったく聞かれることはありませんでした。それはチャドの民衆の全体の利益が無視されたということです。戦争は、憎しみと破壊と不幸と死者を伴いながら、再開されました。今の今まで、平和と和解に向かって進む実際的なしるしはまったく何もなく、心を穏やかにしてくるものは何も来ません。市民全体は、ますます公共問題に無関心になってきています。それはおそらく私たちが知っている以上にひどくなっていることでしょう。一人一人は、とりあえず個人の利益を確保することに精一杯になっています。こういうことすべてが、際限なく暴力と戦争をうみ出すことしかできない全体的な不幸の原因となっているのです。
7. 私たちはこのような状況を前にまったく無力な中でこれを諦めて受け入れねばならないのでしょうか?チャド市民は、すべてのこれらの状況とは反対に、個人の次元でも公的にも人間と利益を根本的に尊ぶために様々な働きをしながら、平和を懇願し続けています。私たちも、神に希望をおく私たちの信仰において、負けを認めることは禁じられています。私たちは預言者とともに、《正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものはとこしえに安らかな信頼である。(イザヤ32,17)》という言葉に納得しています。神の言葉は私たちに勇気を与えてくれ、私たちに解決の道を開いてくれ、私たちの行き詰まりから抜け出させてくれます。チャド共和国の宣言50周年に入る時、私たちは共に問いかけることが緊急の課題なのです:私たちが建てようとしているのはどのような国家なのか?私たちはこの国でどのように一緒に暮らしていきたいのか?そしてまた、国家組織と国際組織すべてが国を興すために、そして、すべてのチャド人と一人一人の権利を尊重する事柄の間に信頼を構築するようなコンセンサスに至るために必要な条件を造りだすことに協力することが緊急の課題なのです。

すべての人に、一人一人に緊急な呼びかけ
8. より堅固でより兄弟的な生活は他のどこかでも行っているようにチャドにおいても可能であり、その生活は、すべての人に、どのような民族であれ宗教であれ、国家を共に建てていく全体的な利益への奉仕に関わっていかせることを準備します。これは平和への道です。一人一人が、その程度には違いがあったとしても、それぞれのやり方で、国を二分し血だらけにする暴力や憎しみの雰囲気を作り上げていることに協力しているので、一人一人が、今、まずは、共通善への奉仕のために責任を自らが取っていくということに呼ばれているのです。そしてそれなしには、個人の利益さえもけっして保障されることがないということを知らなければなりません。

1)権力を行使する人々へ
9. 今、実際に責任を受けている皆さん、男性も女性も、また権威を行使できるところに働いている人々、いろんなレベルがあるでしょうが、あなたがたは国に奉仕する重い仕事を担っています。国の憲法が要求しているように、人々や彼らの利益に対してまったく差別なく尊重してください。公共の善というセンスを持ってください。国の奉仕者であってください。あなたがたが奉仕されるためではなく、奉仕する人であってください(参照:マタイ20.28)。あなたがたは、私たちの国と同様に難しい問題を抱えている国で民衆を成長させるのに成功している人々という例があることを知っています。南アフリカネルソン・マンデラや、インドのマハトマ・ガンジーを見てください。彼らが成功したのは、自己中心的な利益や暴力を探求するのではなく、一貫性のある政治的プロジェクトの基礎を築き、自分の国への奉仕のセンスを持っていたからであり、自分の国家を成長させようとする強い意志をもっていたからなのです。他のところで可能なことを我が家では可能じゃないのですか?市民によって不当に留置された戦争のすべての兵器が回収されますように。すなわち、軍隊による兵器の使用が厳しくコントロールされますようにお願いします。そして、市民の大多数の願いが聞き入れられる現実的な政治的議論が起こされますようにお願いします。
2)建設的政治対立のために
10. 対立の中にあるあなたがた、とにかくあなたがたに言いたい:暴力と戦争をやめてください。兵器の大量輸入と無秩序な兵器の配給をやめてください!武力で権力を取ること、武力でそれを保持しようとすることは、私たちの問題に本当の解決、永続的な解決をもたらすことはありません。今日の世界において、どこでも、私たちは暴力の実りは暴力でしかないことを知っています。それを見ています。そこには発展はけっしてないし、平和などありえません!真理は正義から生まれる(参照:詩編72.1−7)のです。
それぞれが公的善を害して特別な自分の利益しか探さないような党派集団に基礎を置いた対立はもうやめてください。確かに、それぞれは自分の視点を説明する権利はあり、その場所において行使される権力と共に、不協和の代替についてプロポーズすることはできます。しかし、しばしば起こっていることですが、グループの対立が民族や党派的な差別に拠って立った意識を優先させていることから、人々はまったく信用を失ってしまっているのです。引き出された結果には理由があるのです。しかも、もし政治的に真面目な政策が提案されなかったら、国家的、国際的世論のうちですべての信憑性を失ってしまいます。
どうか、氏族類縁に拠るのではなく、人間と共通善の尊重に拠って、民衆すべてが自由に投票することができる本物の政治的プログラムを共に練っていくために落ち着いて座ることを受け入れてください。しなければならない戦争はただ一つ、貧困と不正義のすべての形に反抗するという戦争です。このような戦争のためには、兵器は完全に無用なのです。
3)市民社会とすべての善き心の人間への最高の関わりのために
11. すべての市民の皆さん、特に、市民活動団体を構成するすべての人々へ、皆さんは非−暴力の力で、チャドでは非常に効果的な働きであります。今、私たちの国は歴史的に言っても非常に大きな危機をむかえています。この危機は、民族の実体のうちにある社会的組織の歪みを通して、国家と同様に根本的な基礎に関する再検討を要します。この混乱から脱出することを目指す決定的な行動の中にあなたがたを引き入れ、そのような中でお互いに協調しあうために、私たちはあなたがたにあなたがたの控えめな態度から外に出て行くようにとお招きします。チャド人の間に現実的な和解によって立ち上がる平和な文化を共に建てるよう働いてください。あなたがたの同胞を、彼らの政治的参加が、実際に、良く生きさせることになるだろう一つの国家の建設に協力するのだということを目覚めさせてください。権力への到達も可能なかぎり民主主義的方法で行われますように、とにかくどのような暴力のかたちをも取ることのないように。あなたがたがご存知のとおり、それは、国の平和と一致のために、様々な脅迫をもたらすことのできるすべてのものに抵抗するという市民の役割でもあるのです。それは、神が私たちに共に生きるようにと呼んだ祖国のほんものの愛をあなたがたに要求することになるでしょう。
4)私たちの国の多種多様な宗教的信仰
12. 神が、その民にほんとうの平和を与えられる(参照:詩編85.9−14)。だから、今まさに沈もうとしているようなカオスの国を救わねばならない時、ほんとうの平和の道や条件を探さなければならない時、様々な宗教的信仰は当然のことながらそれら自身の場所を持つはずです。
どのような信仰であれ、すべての宗教者、私たちは、国家のために倫理的な意識を持たねばならないでしょう。政治的、軍事的責任者たちが、彼らが協力し生み出している状況によって行き過ぎたことをしている時、神は、《政治家がやっているような政治的やり方》や軍隊よりも他の解決策を探すことを優先するようにと私たちに呼びかけるのではないでしょうか?
私たちの考えではまったく緊急な事態です。ただ平和のために祈るというだけではなく、私たちの国を沈滞から脱出させるために、私たち自身の何らかの信仰から協調する必要があります。私たちは、共に、すべてのものを尊重したいと思う神の意志に基礎づけられた堅固で永続的な平和を建てるために協力しあうことができるでしょう。国の善は、すべての人によって人権が尊重されるために、私たちに一致するようにと要求し、また、一人一人人間がほんとうに尊重されるために、私たち宗教者のコミュニティのメンバーからそれを始めるようにと要求します。私の民族だから、私の宗教だから尊重されるというのではなく、その人は唯一一人の人間だから、唯一の神によって意志され、創られたから尊重されるのです。神の子、すべて人が神の子であるということ、その子たちを尊重することなしに、神を尊重することを主張することはできないのです。
司教のアンガージュマン
13. 私たち、チャドの司教は、正義と一致と平和が私たちの福音的使命の中心であり、より良いこと、私たちの国の現実的な発展の源泉であるという意識を持っています。私たちは、私たちの国の歴史の中でもこの悲劇的な時期に、意識を新たにするようこれまでに受けた呼びかけを刷新します。
媚びへつらいなく、このように、私たちが知っているところの複雑な状況を長く書いた後、私たちは声を震わせて、現在の危機に関わるすべての中心人物に向かって、互いに敵対し合って兵器で闘うことを止めるために、彼らが互いに交渉しあうために座るために、呼びかけます。もしも、私たちの国を救うために、同じように思っている他の宗教者と一致しなければならないなら、私たちは準備ができています。この国家のため、私たちの共通善のため、私たちが成長させるために、神が私たちに与えてくれた祖国のために永続的な平和をうち建てることを目指した本物の対話を助けるために一致する準備はできています。
キリスト者共同体への呼びかけ
14. あなたたち、カトリック信者、キリスト者の兄弟たち、私たちはあなたがたに、平和の賜物を受け入れるために神に祈るようお願いいたします。受け入れるだけではなく、行動することも。他の多くの市民と同じようにするだけではなく、あなたがたが洗礼の恵みから受けた使命に従って、正義と平和のために働いてください。《あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。》(マタイ5.20)
努力を倍増させるべく、優先的に正義と平和の委員会に参加するようにしましょう。教区における発展のための私たちのアソシエーションの枠内でも貧困に対する戦いを強化しましょう。このようにすることで、不協和と憎しみと軽蔑の多くの傷は閉じ始め、チャド人が互いに兄弟姉妹であるということを知り始めることになるでしょう。アフリカの教会のため、2009年にローマが開催する第二回シノドスへ向かって私たちの歩みをさらに続けましょう。このシノドスはまさに:《和解と正義と平和へ奉仕する教会》というテーマを掲げています。
15. 最後に、イエス・キリストのご降誕を祝うことは、まさに、私たちの国を兄弟的な愛と正義と永続的な平和の国にするために、神が私たちを神ご自身の子とするというこの上ない賜物を受け入れるようにと私たちを招きます。このクリスマスの祝いの時に、神がチャドを祝福してくださいますように、チャド人皆に与えてくださいますように、2008年を通して、和解と正義と平和の道を歩かせてくださいますように。