Missionaire

仲間とクリスマスのお祝い、仏蘭西人宣教師G師をお招きする。
彼は日本在住30年。10歳から小神学校。耳では、彼の様々な信仰体験、社会体験を経て日本への派遣までのお話しを聞きながら、心では、「祖国を離れて生きる宣教師」のアイデンティティを聞いていた。
私が心で聞いたその「アイデンティティ」は、一言で「宗教的である」ということに尽きる。
「これ」とか「あれ」とか決して固定されることがない、凝り固まらない、限定されない、やわらかい・・・と形容詞を並べれば、こういうことになるのだが、つまりそうすると、私にとって「宗教的である」とは、固定されることがない、凝り固まらない、限定されない、やわらかい・・・とこういうことになるのであって、もし、他の人が「宗教的である」というのを、非常に画一的、固定化されたもの、硬い、凝り固まったものと捉えているのであれば、「宗教的である」ということが、まったく通じなくなってしまう、ということになってしまうのだな、と思った次第。
まわりくどいな。ま、とにかく面白かったんだ。
そして、素直に、「祖国を離れて生きる宣教師」に希望をみる。
・・・やはり宣教師に彼らの母国語でインタビューをするってーのが夢だ。