信仰中心

ハルナックの問い

イエス・キリストの人格が福音の中心なら、この人格への共同体の認識基盤は、夢想して造りだされたほんものののキリストと間違わないために、やっぱ、歴史的批判的研究しかないっしょ???

バルトの反論

なに言ってるの?イエス・キリストの人格を福音の中心と認識する確実性と共同性は、神によって呼び醒まされた信仰の確実性と普遍共同性以外ないに決まってるじゃん!
もちろんね、歴史的批判的研究は諸基盤ではあるんだけど、だからって神さまによってそれが据えられてるわけじゃないんだから基盤という基盤じゃない。ほんとうの基盤っつうのは「聖書において証言されているイエス・キリスト」。みんな「キリストを肉によってはもはや知らない」ってことを知らないのかしらね。うふふ歴史的知識は人をびっくりさせるわね、まぁそういう意味では神学の役に立つんだけど・・・それだけよ。

カール・バルトのキリスト一元論:Christomonismus
これは、キリスト論的原理が演繹的体系の思弁的中心点を構成すべきだ、という主張では決してない。バルトが主張するのは、イエス・キリストにおける神の存在と行為が神学全体の基礎をなすということである。神学者はこのイエス・キリストにおける神の存在と行為に全面的に定位しなければならない。それが神学の主題に対する神学者の従順な責務であり、また神学の即時性(ザッハリヒカイト)というものである。

なんかB16とどことなく似てる・・・