ありのまま

Givernyのモネの庭の池
清清しい光よ、水のユラユラよ。だから、この庭を見れば目も休まると思う。


目の前のそれが「ありのまま」であればあるほど心から愛したくなるのも、ほんとダ。焦ったり、不安に感じたり、逃げたくなったり、怖ろしくなったり、いろんな思いに動かされて、そんなふうに決断したことの≪ほんとうのところそれで良かったかどうか≫、いちばんわかってくれるのは≪それを心から愛する者≫なのではないか。
この池を見た眼差しは一つじゃなかった。
たしかに、世界を見る目は一つじゃない。
ただ一緒にこの世界を見たねって言えるというのは、何にも変えられない≪時≫の恩寵だろう。
あの日、一緒にあの風景を見たね、そういう≪時≫。
それも一緒に見たわたしたちを愛する者が居るゆえに・・・。
他者のドラマを聞くということで、≪再生≫したという感じがあるな。もう少し生きてる感じで行こう。そんなわけで、今日は「ありのまま」をもうしばらく我慢して過ごす。デスクの上に広げられた≪文字≫がわたしに触れる瞬間を待つ。
そうなんだな。
見ている≪文字≫がジヴェルニーの池のように見えるのだよ。池に映し出された空、水面に触れている柳の枝。それらがすべてどうしようもなくわたしの内臓に触れるまで、ありのままに。