聞き耳

Saint Benoît,Terre cuite de l'atelier du monastère
Photographie:Communauté Abbaye Notre-Dame de Tamié
このご像はシトー会のタミエ修道院にある。
聖ベネディクトの教えに、
「聞きなさい、そうすればあなたは到達する」
というのがあって、
ベネディクトの会則の最初と最後のことばだそう。
聞く、っていうのは難しいものですよ、ね。いや、しみじみそう思うんだな。結局のところなかなか聞けてない。なにも、他人のことも聞けてないし、自分自身のことなんてもっと聞けていない。聞いているつもりで、そう、つもりで、結局のところ予測しちゃっているんじゃないか。
と同時にしかし、不思議なことに、ここは聞く時だ!って時って必ず来る。ここは聞かなきゃならない、まぁ、義務というよりももっと強制とでも言いたくなるような瞬間なんだな。聞くって、わかるってこととも関係してる。なんだか知らないけどわかっちゃう、ってこともあるしね。
南米に行ってた仲間としゃべってて、スリとか強盗とか、そういうのにあったときっていうのは、もう何が何でも両手をあげて降参しないとダメだって。もう相手の言うなりになる。ちょっとかがんで、下に落ちた何かを拾おうとしたってダメ。相手の顔を見てもダメ。そうじゃないと命取りになってしまう。彼女はそういう場面に出くわして金めのものは全部渡したって言っていた。聞くとかわかるっていうのを通り越して自分を捨てるってことになるのかな。とりあえず捨てられるものは全部捨てて、いのちだけは・・・って感じなのだろうかな。
そういうわけで、聞くというのは、そういう切羽詰った状態にならねば聞けないというシロモノでもある、ような気もする。今がそうって?うむ。まぁ、デスク・ワークって「脳」がそういう状態にまでいかないと、文字と本当の意味で出会えないってところはあるよ、ね。
・・・よ、ね。が多いよ、ね。