夏をふりかえる


リュブリョフの三位一体、イコン。
木に貼った大きなわれらのイコンは東京にある。
祈りの場所にあるのだけど、わたしの心のなかにいつもある。
9月になって風がすぅ〜っと涼しくなってくると、あぁ夏が終ったと「ほっ」とする。もちろん「ほっ」とするのは一瞬で、終っていないさまざまなことを終らなければならないと、また焦る気持ちもわいてくるのだけど。
この仕事が終れば・・・と必死で向かっている時間はまるで「空(くう)」のようなもの。そういう時間っていうのは、時間としてあるようで、なきものに等しい。過ごしているときは、時を感じない。そしてそれが終わり、一瞬の解放感を覚えるやいなや、次の「空」の中に入り込んでいかねばならぬ。でも、そんなのあたりまえじゃない。うむ、そうかな。
夏、暑かったね。
もう、それだけだな。それしか言うこと無しだ。
この夏を過ごしてやっと、日本に帰ってきたと言える気持ちになってきたって感じがする。それまで帰ってきたようで帰ってなかったかもしれぬ。蒸し暑く、重い空気。このサウナの中で生き抜くってことはけっして冗談でなく厳しいことだ。暑いってことが厳しいだけじゃない。日本で生きるってことの「生き厳しさ」をヒシヒシと感じてるってわけだ。だからって、逃げないよ。
語り合っている三人の天使たちが、わたしの心のなかにいて語り合っている。
父と子と聖霊が、からだの奥深く、見えぬところで語り合っているとする。
夏、暑かったみたいだけど、秋が来た。日本にも秋が来るんだ。そう、心の壁に窓を開けよう。そこから秋の風を入れてあげよう。暑くてヒートしちゃった心の熱を少し冷ましてあげる。そんなに一生懸命にギリギリと爪を立てることはないんだから。心がどこからか吹いてくる風を「それがどこから」と知らなくても、いいよ。