ヒロシマナガサキ
ヒロシマナガサキを観て来た。岩波ホール。
渋谷を歩いている若い人は1945年8月6日に何があったかを知らない。そんな場面から始まり、東京の原宿かどこか知らないが、若い人がかき弾くエレキギター、ロックバンド、そして、渋谷かどこか知らないが人々の雑踏の映像で終る。
その間に挟まれた「被爆者の記憶」という世界が、「被爆者の証言」によって、観客の脳裡の内に映像となる。心が掻きむしられる。
おそらく被爆者の証言によって観客が思い描くことができる想像という映像は、観客が原子爆弾とどう向き合ってきたかによってずいぶん違うだろう。いや、もしかすると、証言が一であるなら、証言によって再現される脳裡を満たす映像も一なのかもしれない。もしもそうだったら・・・
この映画の製作に25年もかかっている訳がよくわかる。
ここまでのインタビュー、ここまでのドキュメンタリーにするには監督ご自身の自己追究も相当だったはずだ。
ひろしまの子どもたちは、ここで語られた証言を繰り返し聞いている。
その中の一人であるわたしもそうだ。不思議だ、このような証言が始まると無意識に首が上下にウンウンとうなずく。そして不思議に昔、あの証言を聞いていた時の自分に戻るのだ。映画を観ながら、ウンウンとうなずいているわたし。そして、よう生きとっちゃった、よかった・・・と思わず口をついて出てくる。
不思議なことに、ウンウンとうなずいている自分は単なる自分じゃない。
昔、わたしが平和学習でインタビューしたあの平和公園のおばあさん、あるいは他の誰か、うちの両親かもしれない、よくわからないが、被爆後生き残って、わたしに被爆の惨状を話してくれた誰かが、ウンウンとうなずいているような気がするのだ。
そして、証言する被爆者がいちばん苦しくて、声を詰まらせるとき、わたしのうちに住むすべての人々が一斉に泣く。
原爆を題材にした映画は数々あれど、あまり観たいとは思わない。思えない。
背景のセットを観るのが嫌なのだ。セットがあると思っただけで足が進まない。昔、原爆資料館の展示物のほとんどはホルマリン漬けにされた被爆者の内臓だった。今でこそ相当数が少なくなって、セットが多くなった。セットが多くなって、わたし自身の原爆資料館での感触は明らかに変わった。できるかぎり原爆のセットには触れない。
映画ヒロシマナガサキは伝承の風化が叫ばれ始めているヒロシマナガサキにきちんと石を投げてくれた、ありがたい。
このドキュメンタリーに作られたセットはない、あるのはそれを経験し記憶している人たち、そして当時の残されたフィルム。
聞き逃してはならぬことがあるってことを教えられる。あなたがセットを作ることはない。今、あるもの、それを見ること。