ドキュメンタリー

karpos2007-07-07


いよいよ今日から『殯の森』も関西方面で上映開始。
写真はチラシ。象徴的です。殯は死じゃない生だと言ってるよう。
いつ行けるんだろか・・・
ドキュメンタリー映画の解説の中に興味深い部分を発見。コピペ。
那田尚史「セルフ・ドキュメンタリーの起源と現在」
YIDFF: 刊行物: DocBox: #26山形国際ドキュメンタリー映画祭
鈴木志郎康監督『日没の印象』を評して・・・

この作品はさらに複雑な要素を持っている。上記のように「これは映画である」というメッセージを作品が発し続けることで、「映画とは過去の時間を現在化させるものである」というテーゼが前景化し、そのテーゼの逆もまた真となって、「映画においては現在写っているものがすでに過去化されている」という新しいテーゼが発生する。すると今現在見ている映画の風景が、すでに現在は存在しない遠い過去のものであり、時間の流れは食い止めることが出来ない、という強い無常観が観客の心に発生する。これは、作者がそれを意図したかどうかには関わらない、きわめて批評的な視点だが、哀愁をそそるハーモニカ音楽の効果もあって、私にはこの映画に写される風呂屋の煙突の煙が火葬場の煙に見え、またラストシーン近くの赤ん坊の寝顔のクロースアップが、まるで死体であるかのように見えてしまう。カメラマニアが大好きなカメラを買い、愛する家族や友人達を写す、といった「至福の日常」が、こうして批評的観点に立つと、無常観の寂しさを激しく感じさせる作品へと180度転換するわけである。

ドキュメンタリー映画って奥深し。