あれから15年

尾崎豊、つくられた教祖

「教室の窓ガラス壊してまわらなかった」わたしだけど、「卒業」にはかなり共感した、あの時、そうだ20歳だったな。このビデオの中でもファンが言ってる、教祖とか、そういうんじゃない。
そう、「教祖」とかそういうんじゃない。
一言で言えば、「代弁者」みたいなものだったと思う。
わたしも含め多くの同世代(彼の年下ではなく)が、よくぞ言ってくれたパチパチと手を叩きながら自分は彼の位置ではなく、もう一歩周辺に都合良く立ち振る舞っていたのではないか。
助けられた、ありがとうと言いながら。
発売されたその時すでにわたしは「卒業」を教育実習のネタとして使おうとした。
尾崎をパッケージにして、それはおそらく代弁者を売り渡す行為だったのかもしれない。最近では「卒業」が三部合唱曲になっている。そして道徳の教科書にのっている。たぶんわたしと同じ根に基づくやり方。
窓ガラスを壊さない十代 - for dust you are and to dust you will returnでRyotoさんが、

ロストジェネレーションにおけるフリーターやニートの問題を憂いながら一方で「最近の十代は尾崎のメッセージを受け止めていない」と若者に批判的な記事を載せる朝日新聞はいかがなものかと思う。それこそが尾崎の嫌った「汚い大人」のやり方ではないか。

と書かれているのだけど、「最近の十代は尾崎のメッセージを受け止めていない」という朝日新聞の発言の根拠にあるのは尾崎と同世代(彼の年下ではなく)がすでに二十数年前にはじめた「代弁者に任せておけば万事OK」というような奇妙な道の選択、から端を発しているような気がする。

http://d.hatena.ne.jp/eirene/20070425のeireneさんは次のようにふりかえっておられる。

「卒業」などの歌詞については、醒めた目で見ていた私のような者も少なくなかったと思われる。

醒めた目で見ていた同世代の方が「共感/賛美/啓蒙」の同世代よりよほど真摯だった。