Samson Francois


完璧ラヴェル
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ラヴェルな夜に。
クープランの墓プレリュード。

締め切りの夜は長いの春だもの。

ところで・・・
カトリック教会で一種倍餐になったのはいつ?」とのご質問をいただいた。
(★一種倍餐=ミサでご聖体のパンのみをいただくことをこのような言い方があるらしい)
(★カトリック教会では時々、司祭以外がミサでパンとぶどう酒の両方を拝領することがあり、
そのことを両形態と言っている)
司祭だけがパンとぶどう酒の両形態を拝領しているのになぜ信徒はそれをしないのか?
この疑問は率直だし、なるほどな〜と思うのだけれど、
実はそういう疑問を持ったことがなかったというわたし自身に、
あれれと思わされた。
実にこの疑問はヤン・フス(1371-1415ルター以前の宗教改革の先駆者)に始まっている。
この主張はコンスタンツ公会議(1414)で取り下げられ(却下)、
完全に両形態は禁止され、悲しいことにフスは翌年殺された(=異端処刑)。
調べによれば12か13世紀まで両形態で拝領していたらしいが、
まさにこの時代があの
「実体変化(パンとぶどう酒が、実体においてキリストのからだと血に変化するという)」
(第四回ラテラノ公会議1215年)が決まった時期。
その頃、聖体への信心が流行ってミサの中でそれが奉挙されたり、
箱に入れて拝められたりしたわけなのでこのあたりで何か、
パンのみになった経緯があるのではないか。
その後、第二バチカン公会議までこのままパンのみの拝領は続く。
典礼憲章(1965)の55には両形態OK(いつもじゃない)が明示されている
(ただしトレント公会議の教理上の原則は不動ともある:要調査)。

このパンを食べ、この杯を飲み、
わたしは主の死を告げ知らせる。

うむ、しかし、
ぶどう酒を飲まなくなったのは、
その年のぶどうの収穫が悪かったから・・・
とかそういう理由だってあり得そうな気もするカトの世界。
もうちょっと調べてみまふ。