明日は名古屋だぎゃァ

ぶるるぅ、寒いね。
やっと自分の部屋完了、ノつもり。
明日から一ヶ月いないからまた旅支度。
せっかく部屋もできたのに。
ところで昨日は久しぶりに釜のお姉さま方に会いに行く。
貫禄というかもう閾。
70〜80歳のお姉さま方は弟さんたちの面倒をみてると言う。
つまり、釜のおっちゃんたちは、
若いときに重労働すぎて60歳代で身体がボロボロだというのだ。
昨日は節分だったから巻き寿司120本作ったんだって。
あぁ、四年ぶり。
あれからもう四年も経ったんだぁ。


さて、今日のオレンジ君。

それにしてもこれはいったい、
オレンジなのか鳥なのか、よくわからない。
デジャ・ヴではないが、
先日、友が、自分の宣教の根底にある、
幼児期からの原始的な体験(イメージ)みたいなのを話してくれて、
妙に納得したんだけど、その後に、自分自身のそれみたいなものが触発され、
ついつい自分のそれを口に出してしまった・・・
私にとってそれがまさに、
この鳥、オレンジ君だった。
私は高校生の時、仲間と一緒にやってた同人誌で物語を書いており、
そこに、死んでも歌い続ける鳥のことを書いたのだった。
鳥は死んで、土の中でも歌っている、
森の動物たちはそれによって幸せに暮らすというような内容だった。
あの時イメージした鳥は、まさにこのオレンジ君のような黄色い口ばしの鳥だったと思う。
こんなことを友と話して久しぶりに思い出した矢先に、
オレンジ君をもらった。
ちょっと共時性っぽくない?

言いたいことがいっぱいあるんでしょと友は言った。
そんなふうには思ってなかったので意外だった。
言いたいことなんてそんなにない。
でも、あんたは巴里で死んだんだって言われたんだけど、
それについてはそうだと思った。
この辺をわかってもらえる友がいるって、ま、ありがたいことだと思う。
それは認める。



夜、月がまんまる。
道のまんなかに月がまんまるで、
ルオーの絵なんか思い出したりした。
この道のまんなかに、イエスと小さな人が立っている。
夜、月が道のまんなかでまんまる。
そんな町に越してきた。
ここは旅から帰ってくるところ。