外海

もう一度、日本を目指したキリスト者は、
海のそばのこんなに気持ちのいいところに教会を建てて、
そこに住み、一生そこに暮らして、
出会わせてくれた人々と生活をわかちあう。
あなたが選んだのではなく、
わたしが選んだ、という、
そのことば通りに、
わたしの目の前で「わたしがあなたを選んだ」という人に、
生涯をかけてつき従おうとした宣教師。
再宣教、19世紀、フランスからの宣教師たちの心意気が伝わってくる。

外海、黒崎教会。

 
 

教会内部の撮影禁止だからここには載せられない、これがまた美しいのなんのって。
竹で、ゴシック建築してるんだもん。
MFがこれを見て、まさにこれは日本のものだと言った。
そのことばによって、あぁ、これが日本のものなのかと思った。
じゃなかったら、
これは西洋のものだとずっと思ってただろう。
対話って、
信頼感が根底にあって、
相手の発話に、わたしの発話が乗っかってくる。
それは議論とは違う。
同じキリスト者として、
同じものを見ながら、
違うものを見出していく。

そして、マリアさまの眺める海はこんな外海。