殉教

長崎の西坂にて。
 

まんなかが、聖パウロ三木。
京都から歩いて長崎に連れてこられた26聖人のうちのひとり。
とても説教のうまいイエズス会士だったそうだ。
彼の最後、十字架上での説教。

十字架に付けられたパウロ三木の説教
ここにおいでになる全ての人々よ、私の言うことをお聴き下さい。私はルソンの者ではなく、れっきとした日本人であってイエズス会のイルマンである。私は何の罪も犯さなかったが、ただ我が主イエス・キリストの教えを説いたから死ぬのである。私はこの理由で死ぬことを喜び、これは神が私に授けたもうた大いなる御恵だと思う。
今、この時を前にして貴方達を欺こうとは思わないので、人間の救いのためにキリシタンの道以外に他はないと断言し、説明する。キリシタンの教えが敵および自分に害を加えた人々を赦すように教えている故、私は国王(秀吉)とこの私の死刑に拘わった全ての人々を赦す。王に対して憎しみはなく、むしろ彼と全ての日本人がキリスト信者になることを切望する。
フロイス、1597年の『殉教記録』、145頁より)

十字架上で、
最期に彼が言いたかったことがこれだ。
彼がこれを、どのような語調で、どのような声で、どのような表情で語ったか。
石打にされた、ステファノの説教にも似ている。
神にとことん愛されて、その愛を隠さずにいられない。
その愛はなかったのだろう?と言われても、なかったことにできない。
そんなこの人の、
打ちのめされた丘で、
わたしの仲間と一緒にコミットメントを無言で確認したのだった。
26人の天における誕生が、
何百年もたった後、わたしの心に誕生する。