L’amour est plus grand que la vie.
戦後、日本カトリック教会の騎士(?)ともいう修道司祭O師に初めてお会いした。
修道司祭が騎士というのも変な話だけどさ。
アンチ・カトリック、論駁のT大時代から一転した人生。
ま、だから騎士でもいいのでは・・・
今日は、愛は人生よりも大きい、と思えた日だった。
人生の終わりにその顔のなかに「愛の一片(ひとひら)」さえあれば、それで十分。
あと、昔のO師を知らないというそれだけのことで「時代」を感じさせられた。
諸宗教の対話、「捨てるということではなくってね」。
意味深だな。
ま、今日はこれ以上追求しないでおこう。
出会いは恵み。
それから、平等院東福寺
十円玉がどうのこうのって後ろの声ではっと気づく。
そして、十円玉を見る。
あ、鳳凰も刻まれている。
美しい天女にうっとり。
音楽を奏で、天上界から舞い降りる。
ここでのポイントは、

  • この世に「天上界を造る」という意向で建てられた鳳凰殿(阿弥陀如来のおられる)は、単に「天上界を想起させる」というだけではなく、「天上界をこの世に実現させる」という意味まで含むか。
  • とすると、阿弥陀如来弥勒菩薩も単なる彫刻ではなく現存。仏教における彫刻はやはり偶像崇拝の対象となるのか。

東福寺はものすごい観光客の数だった。
日本人はバカンスしないんじゃないのか?
いえ、今日は勤労感謝の日で祭日。
それにしても、そりゃーないでしょうっていう感じの数。
中には入らず、ただ、橋の上でモミジ見る。
これなら誰もが見に来たくなるのわかる。
そういうところを避けて、奥の、どこにでもありそうな鎮守に行く。
そこはまさに、わたしも小さい頃遊んだことのある竹やぶに囲まれた神社だった。
MFにその話をする、まさにこれこそ・・・
そう、わたしの原点。
わたしはそれをアニミスムといってやぶさかでない。