想い起こす2


初心にもどって、小林稔訳、ヨハネ文書(岩波書店)。
小林師は「御覧ください」(新共同訳)じゃなくて「見て下さい」と訳した。


さて、マリヤはイエスのいたところに来ると、
彼を見るなり、
「主よ、あなたがここにおられたなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」
と彼に言いながら、その足下にひれ伏した。
すると、イエスは彼女が泣き、
また一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見ると、
心の深いところで憤りを覚え、かき乱され、そして、
「あなたがたが彼を置いたのはどこか」と言った。
彼に言う、
「主よ、来てください。そして、見て下さい」。
エスは涙を流した。
ヨハネ文書11章32−34

主よ、来てください。そして、見て下さい。
兄弟ラザロが病ののちに死んでしまった、
マリヤはイエスに訴えている「あなたがいてくれたら兄弟は死ななかったのに」。
そういう場面だ。
来て、見てください。
この言葉は、イエスが洗礼者ヨハネの弟子たちと出会った時、彼自身が言った言葉と同じ。
ラビ、どこに留まっておられますか。
来なさい、そうすれば見るだろう。
その言葉とまったく同じ言葉を今、マリヤから聞いて、
エスは泣く。
たぶん、想い出すだろう。
自分を遣わした方の思いが見えるものとなることを、
この、引き裂かれた世界で、
墓の前に立って。
何のために生まれてきたのか。
とにかく、来て、見てちょうだい、こういういことなんだよ、って、
いわば、呼ばれてる「場」があるとするなら、
そこがたとえ墓場であろうとも、
うぅって絶句しながら、
腹をくくるってことになるのか。
でもイエスは腹をくくらない。
彼は目を上に挙げて言う。
父よ、私に耳を傾けて下さったことを感謝します。
エスは祈っている。
深い淵から叫ぶ者のように、一直線に祈る。